変化球の使い手たち

最高のカーブを投げたのは誰か?

沢村栄治のはカーブではなくドロップ

日本プロ野球史上で、カーブの威力を話題にしたのは、伝説の大投手、沢村栄治です。

1934年の日米野球第3戦で全米オールスターチームから、圧巻のピッチングで9奪三振。その時、威力を発揮したのはカーブです。この時、沢村の投じたカーブは三段に曲がると言われました。「グッ、グッ、グッ」と曲がるカーブ、特に3度目が一瞬止まるほどでした。この試合、ルー・ゲーリックにホームランを打たれて負けるのですが、このホームランを打たれた球種はいろんな文献を調べてもわからないまま。しかし、試合後、ヤンキースのレフティ・ゴメスが「サワムラはカーブを投げすぎる。あれだけのストレートを持っているのだから、それで押せばいい」と語っていることから、推測すると甘いカーブを打たれたかもしれません。内堀保捕手は、スピードがあって、曲がりが鋭くてしかも、落差があったから打てるわけがないと語っています。

カーブと言えばこの人、堀内恒夫。

ルーキーイヤーにストレートとカーブだけで、開幕13連勝。小学生時代に右手人差し指をうどん製作機に挟まれ、1cmほど切断する大怪我を負っています。しかしそのハンディキャップが逆に独特の大きなドロップを生み出すことになりました。その曲がりの大きさとブレーキ鋭いカーブは、対戦した当時阪神にいた山内一弘が「危ない」と尻もちをついてしまうほど。しかし、そのカーブも2年目から何故か色あせていく。

杉浦忠のカーブは異次元の曲がり方

そして、その堀内が日本シリーズで対戦した相手、南海の杉浦忠のカーブは、右打者の左サイドのボールゾーンから曲がってきて、外いっぱいのストライクになる。打席に入った堀内は思わず、「当たる」と左手でボールを払う仕草をしてしまったという。何度も対戦した、豊田泰光は「史上最高のカーブ。あれだけはどうにも打てなかった」と脱帽。

左ピッチャーはカーブの使い手は多い

400勝投手の金田正一のカーブは、2階から落ちてくるようなスローカーブという表現がピッタリ。王、長嶋を翻弄しました。

元、阪急の星野伸之はストレートがせいぜい120キロ後半の球速でしたが、浮き上がってくる様な緩いカーブと真っすぐのコンビネーションで三振を数多く取りました。但し、見逃しの三振を取れるタイプではありませんでした。

しかし、工藤公康のカーブは、球速もありボールゾーンから、鋭く曲がってストライクになる、広島との日本シリーズの対戦で、カーブに差し込まれていて凡打を繰り返した記憶があります。

今中慎二はスローカーブで打者を翻弄しました。原辰徳に対して、8~9球連続でカーブばかりを投げ、すべてファウルになっており、カウント球として有効だったといいます。

同じドラゴンズの200勝投手、山本昌も実はスクリューよりも、あの懐に入って来るカーブに右打者が戸惑い、逆球のスクリューボールがより生きてきました。

初勝利がノーヒットノーラン

広島カープのエース外木場義郎はドロップ気味のカーブで、その頃、弱小球団の広島時代に3度のノーヒットノーランを達成。うち1回は完全試合。

そして初登板がノーヒットノーラン

ドラゴンズの近藤真一は言わずと知れた、プロ入り初登板がノーヒット・ノーランの大偉業。

今でも、思い出す、あの気迫あふれるピッチング。ストレートは最速145キロでしたが、カーブの切れが抜群で、右バッターがほとんどカーブに差し込まれていました。打っても内野ゴロにしかならず、左バッターは内角はのけぞり、外角は空振りばかり。そして、日本プロ野球史上初となる、偉業を達成しました。

■カーブを多投し日本シリーズMVP

現在、楽天の岸孝之投手は西武時代の、2008年ジャイアンツとの日本シリーズでカーブを多投し、日本シリーズ初登板初完封。毎回奪三振の記録も達成し、同時に達成したのはこの岸投手のみ。

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