シンカー

若林忠志

ハワイ生まれの若林は七色の魔球を操った。

直球、2種類のカーブ、シュート、ナックル、チェンジアップ、シンカー。

中でも対戦したバッターはシンカーに泣かされたと口を揃える。

戦前のプロ野球の中でシンカーを投げるのは若林のみ。

打者は「直球だと思って振りに行くとスッと視界から消える」

当たってもボールの上っ面を叩き凡ゴロになる。わざと満塁にして併殺に取るのを楽しんだという。

47年、プレイーングマネージャーとしてタイガースを戦後初優勝に導いた。

26勝を挙げ、10完封でMVP。この年39歳、331イニング2/3を投げた。

権藤博

雨、雨、権藤、雨、権藤、ノンプロのブリヂストンから入団。ドラゴンズのエースナンバー20を背負った。ルーキーイヤーに36勝を上げた。

山田久志のアンダースローは芸術品。若いころは浮き上がるような速球とカーブだけで抑えていたが、年齢と共にスピードが落ちてきて打ち込まれるようになった。

あえて高めからシンカーを投げた。打者が見送るから簡単にストライクが取れる、カウント球をうまく利用した。

塩崎哲也

100キロ台の遅いシンカーを操る。

タイミングの合わないシンカーにバッターは戸惑った。90年、7月5日に8連続三振の記録を作る。

しかし、プロのバッターは甘くなかった。慣れてくると通用しなくなった。そこで塩崎は120キロ台の速いシンカーをマスターした。

ソフトバンクの摂津が使い手。

社会人時代に覚えたという。

右バッターのインコース、左バッターにはアウトコースの使い分けが上手く、握りの深さ、指をかける位置によって落ち方を変え、自由自在にシンカーを操った。

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