フォークボール

杉下 茂

明治大学時代、琴浦でのキャンプに、天知俊一(のちのドラゴンズの監督)が技術顧問に就任した。旅館へ帰る道を歩きながら「スギ、大リーグにペノックという投手がフォークを投げている」と話した。人差し指と中指で挟んで投げる。お前だったらほうれるんじゃないか?と言われた。その後、天知から直接指導が受けられなくなったが、大学では続けて練習をしていた。その後、杉下は天知に誘われドラゴンズに入団する。

日本シリーズで日本一がかかった第7戦では、疲労蓄積で体がクタクタで参っていた。

力を抜いてフォーク投げていた為、西鉄のバッターのタイミングが合わなかった。投球の半分がフォークだったと語っている。

そして、この試合、見事完封勝ちで日本一に輝いた。

村田兆治

速いうえにものすごい落差があった。ワイルドピッチは148で史上最多。

ちなみにフォークボールを教えたのは杉下茂。東京中日スポーツの開設者時代に、ロッテオリオンズのピッチングコーチ植村義信から依頼されて指導され、自分自身でアレンジして取得。

くしくも1974年の日本シリーズでドラゴンズと対戦し、ロッテに敗れ杉下は親会社の中日新聞に怒られたという。

佐々木主浩

1997年5月20日の出来事。

2塁ランナーが打席の仁志敏久に対して、球種を教えている。「せこい事しやがって」怒りが頂点に達した大魔神は150キロ台の直球とフォークボールで巨人打線をねじ伏せる。8回以降、仁志、清水隆行、清原、広沢と5打者全部空振り三振に打ち取った。正面から勝負を挑まない相手を力でねじ伏せた。

参考文献 週刊ベースボール2005年6月6日号  B・B・M MOOK131 ベースボールマガジン社 スポーツの20世紀

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