横に大きく曲がるスライダーと、小さく早く曲がるスライダーと2種類を使い分けていました。今でいうカットボールを既に1998年のシーズンに投げていた本人は語ります。 確かに、伊藤智仁は現役時代、ストレートとスライダーの2種類しか投げていませんでした。
ヘコイバッターにはもったいなくて投げない
本人曰く、本当にいいところに決まっていれば、狙われても打たれない程、このボールに自信を持っていました。困ったらスライダー。しかし、ヘコイバッターにスライダーを投げるのはもったいない、と言い、そんな時は、ズドーンとストレートで勝負した、と回想しています。
スライダーには2つの快感があり、右バッターには空振り、もしくはバットの先っぽ。左バッターには、ひざ元、もしくはインハイで詰まらせる、というパターン。そして、右バッターに向かって行くスライダーは、バッターをピクッとさせることが快感だと言います。
まるでゲームのように曲がる
春のキャンプで対戦した広沢克己は、「まるでゲームのように曲がる」と表現。
1993年の6月9日のジャイアンツ戦で、圧巻の16奪三振。しかし、味方の援護点がなく、篠塚和利にサヨナラホームランを打たれて敗戦投手。この試合は、テレビ中継で見ていましたが、ベンチに帰つた後、壁に向ってグラブを叩きつけていました。
この年は、春先の体調不良で2軍スタートでしたが、その後に6月に1軍に昇格。しかし、いいピッチングをみせても味方の援護点が少なく、7勝どまり。それでも、あの、スライダーは野球ファンに強烈な印象を残し、新人王を獲得しました。
肩の可動域が大きく、腕を柔らかく使って曲がりの大きくて速いスライダーを投げていましたが、本人も自覚している様に、かなり肘に負担のかかるボールでした。ハイリターン、ハイリスクのあるボールであった為に、実働5年で現役を退いています。
プロ入り2年目で肩を壊して、3年目がリハビリ、しかし復帰後もあの新人の時の様な、高速スライダーはついに復活しませんでした。当時の野村監督はずっと悔やんでいました。伊藤智仁は、俺が無理に使いすぎたんだと。
しかし、鮮烈なデビューを飾った、高速スライダーは今でも野球ファンの脳裏に焼きついています。