親父は仕事場の炭鉱から帰ると、どんなに疲れていても息子にキャッチボールを教えた。
10歳の時からナックルボールを投げていという。
先日亡くなった、フィル・ニークロのエピソード。
大リーグで最初にナックルボールを投げたのは、エディ・シコットである。
1905年から20年までの502試合に登板し、208勝149敗。
ダッチ・レナードは33年から53年まで640試合に登板し191勝181敗。
ホワイト・ウェルヘルムは52年から72年にかけほとんど救援で登板し1070試合に登板し143勝122敗227セーブ。
このように指先の感覚で勝負し、肩の負担が少ない為、選手寿命が長い投手が多い。
フィル・ニークロ
史上最高のナックルボーラーのフィル・ニークロは下積み時代が長く、59年にDクラスのリーグからキャリアをスタートし大リーグに昇格したのは6年目の1964年。
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高校時代は無敵の投手で1敗しかしていない。後にパーレーツの二塁手で活躍したビル・マゼロスキーにホームランを打たれたからである。
67年の7月4日にニークロ同士の投げ合いがあった。5歳年下の弟ジョー・ニークロがカブスに昇格して来たのだ。
鉱山に勤めていた親父はアトランタの球場の両チームが見渡せるネット裏の最前列に座っていた。結果は弟が3回で降板し、兄のフィルが勝利投手となった。
67年から80年まで14年連続で2桁勝利を挙げ、73年にはノーヒットノーラン。
74年は20勝で最多勝利投手。79年には21勝したが、負けも多く20敗を喫し、勝ちも負けメジャー最多だった。勝ちも負けも同時に20以上はこの年のニークロ以来出ていない。
このような不安定な成績の理由は、制球力に苦労するからである。
ほとんど回転のないナックルボールは風の影響をうけやすく、投げる本人もどこへ行くか分からない。「打つのに苦労するのに、つかむ捕手が苦労する」この魔球はキャッチャー泣かせ。バッテリーを組んだジョー・トーレ(ヤンキースの名監督)は114試合でリーグ最多の14捕逸を記録している。
77年には330試合を投げ、四球は164個。9回平均で4.5個だから少なくはない。
インディアンス、ブルージェイズ、最後はブレーブスに戻り24年間も投げていた。
特出すべき記録は40歳以降に121勝を挙げていること、もちろん史上最高の勝ち星。
45歳、46歳の時に各16勝。47歳で11勝。
大リーグの通算成績は864試合。318勝274敗。
弟のジョーも通算成績、702試合。221勝204敗。
二人合わせて 1566試合。539勝478敗。
もちろん、兄弟記録で最高成績。
ティム・ウィックフィールド
88年、89年とマイナーで平凡な内野手だったが、ナックルボールを覚え90年に10勝し、92年7月31日にパイレーツに昇格。わずか2か月間で8勝を挙げ世間を驚かせた。
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ところが指先の微妙な感覚を失うとナックルボーラーは立ち直れない。
翌年の93年からマイナー落ち、94年も3Aで5勝15敗 防御率5.84で投手寿命もこれまでかと思ったが、フィル・ニークロの教えを受けよみがえった。
95年に移籍し、レッドソックスに昇格すると16勝を挙げ、4年連続2桁勝利を挙げた。
参考文献 週刊ベースボール 1999年6月14日号