史上最高の投手は誰か?戦後から昭和30年台

スーパーエースがいた時代

西鉄ライオンズの稲尾和久が信じられない42勝。

武器はなんと言っても、正確無比なコントロールと真横に滑るスライダー。

1958年の日本シリーズで、第1戦で敗戦投手になると、第3戦でも稲尾でゲームを落としました。第4戦も先発でこのシリーズの初勝利を飾ると、6戦、7戦も登板し、いずれも完投勝利で日本一になりました。

このシリーズ中の第3戦以降は5連投でそのうち4完投で、神様、仏様、稲尾様と呼ばれました。

25歳で200勝を達成するなど、現代野球では考えられない記録を打ち立てました。

稲尾の後継者

権藤、権藤、雨、権藤。

この権藤博は、徹底的に稲尾の投球フォームの真似をしました。真似をしたのは投球フォームだけでなく、連投に次ぐ連投をも…。

ルーキーの年にいきなり35勝をあげ、沢村賞、新人王を獲得。

右足のかかとを、プレートから伸び上がるように投げ、全身ばねの様な投球フォームから、速球とドロップ、シンカーで打ち取る。紛れもなくドラゴンズ史上最高の投手です。稲尾と同様、酷使により短命に終わりました。

怪童尾崎行雄

浪商を2年で中退し、東映フライヤーズに入団。いきなり20勝を上げました。通常なら高校3年生。それがプロ野球で、20勝を上げるのだから、どれだけ凄いのでしょう。

サイド気味のフォームから、浮き上がる様なストレートが外角低めいっぱいに決まるのだから、プロのバッターでも打つのは困難。

しかし、肩痛になやまされ、後に肝臓を悪くして29歳で引退。

金田正一

ご存じ400勝投手。新人の長嶋茂雄に対して4打席連続三振に斬って捕ったシーンがクローズアップされます。

左腕から繰り出す快速球、大きく割れるドロップで三振の山を築きました。また、全盛期に対戦した選手達は異口同音に、速球は160キロを超えていると言われています。

3年連続沢村賞、わずか24歳で200勝到達、64回3/2イニング連続無失点と途方もない記録を打ち立てました。時折投げるスローカーブは2回から落ちて来ると表現され、野村克也もバットを2握り短く持ったと言う。

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