ドラゴンズの藤沢公也は七色のパームボール。入団後の春のキャンプで、横で投げていた小松辰雄のボールを見て自分の球では通用しないと取得を決意。
そして、ルーキーイヤーは見事新人王。しかし、それ以降は成績が上がらなかった。
小林聖始
84年の広島のリーグ優勝に導いた。西武時代は目立った成績は残せず、広島移籍と共に開化。サイドスローから投げる異色のパームボール。しかし、ストレートにキレがないと通用しない。
石井丈裕
小山投手コーチから教わった。
親指一本で持つ感覚で、小指を添え、手首を固定するような感覚で投げていたという。
力の逃げ場がなくなる為、肘、肩には負担がかかると述べている。
米村明
春のキャンプ中に落ちる球を取得しようと練習中に、臨時コーチの中日のレジェンド杉下投手コーチに止められ、一念発起し取得したというエピソード。
選手寿命は短かった。
ちなみに、初打席初ホームランを放っている。現在はドラゴンズのチーフスカウトで大野雄大を担当していた。
浅尾拓也
120キロ台のパームボールを投げるが、セットアッパーとなってからは、抜けることがあるのであまり投げていない。
この変化球は、ストレート以上の腕の振りで投げ、ボールを抜くパームボールは肩、肘に負担がかかる。いずれの投手も短命に終わっている。