イチロー伝説 中村豪(愛工大名電元監督)
■彼と初めて出会ったのは昭和63年、私が46歳の時である。
「監督さん、すげーのがおるぞ」というОBからの
紹介を受けた私の元へ、父親とやってきたその若者は、
170センチ、55キロというヒョロヒョロの体格をしていた。
こんな体で厳しい練習についてこられるのか、
と感じたのが第一印象だった。
私の顔を真剣に見つめながら
「目標は甲子園出場ではありません。
僕をプロ野球選手にしてください」
と言う彼に、こちらも「任せておけ」とはったりを噛ました。
700人以上いる教え子のうち、14人がプロ入りを果たしたが、
自分からそう訴えてきたのは彼一人だけだった。
そんなある日、グラウンドの近くにある神社片隅に幽霊が出るとの噂が流れた。
深夜になり私が恐る恐る足を運んでみると、
暗がりの中で黙々と素振りに励むイチローの姿があった。
結局、人にやらされてすることを好まず、
自らが求めて行動する、という意識が抜群に強かったのだろう。
人知れず重ね続けた努力の甲斐あって、
3年生になったイチローは7割という
驚異的な打率を誇る打者に成長し、
「センター前ヒットならいつだって打ちますよ」
と豪語していた。
■審判とイチローのエピソード(篠宮審判員の話)
イチローとは横浜とのオープン戦で初めてジャッジをしました。
オープン戦で球審をした時、初球、インコースのボールとなる外れた球を誤ってストライクとコールしてしまった。
「やばいと思っていると、」
イチローが「今のは、いっぱいですか」と聞いてきた。
仕方なく、そうだと答えると、聞き逃さなかった谷繁(元信)捕手がまったく同じコースを要求した。
うわ、見逃されたらどうしようと思った瞬間、その球をツーベースにしたんです。
審判に合わせてストライクゾーンをアジャストしてしまう。
谷繁捕手が“イチローはやっぱ天才だ”といったのが印象的でした。