ロナルド・アンドリュー・ネッチアイ
ピッツバーグパイレーツ傘下D級(ルーキーリーグ)のブリストルに所属していたロナルド・アンドリュー・ネッチアイは、1952年5月13日、ショースタジアム(バージニア州ブリストル)で行われた観衆1,183人で行われた対ウェルチ戦において27奪三振の記録を打ち立てた。
初回を三者連続三振に奪い抜群の立ち上がりをみせる。
2はウェルチの先頭打者をショートゴロに打ち取り、残り2人を連続三振に打ち取った。
先頭打者を出塁させる?
三回には先頭打者を味方一塁手のエラーで出塁を許すが、続く三人を連続三振に斬って取る。ベンチに戻ったネッチアイは燃えるような胃の痛みを訴えるが、ブリストルの監督は続投させた。実は、ネッチアイは胃潰瘍の持病を抱えていており、発作が出るほど酷いものであった。
4回から相手チームはセーフティバントを何度も試みるがことごとくファウルになる。
ネッチアイこの後も奪三振ショーを繰り広げ6回を終わって17三振を奪っていた。続く7回、8回も胃潰瘍の苦痛を抱えながら三振を奪い、9回を迎えた。
ファウルフライを落とせ!
先頭打者がファウルフライを打ちあげたとき、キャッチャー(ハリー・ダンロップ)に向ってファンが「落とせ」と叫び、この打球を落球し、その後三振となった。
次のバッターも三振となり、最後の打者も三振に取ったがこのボールをキャッチャーが捕逸をした。
結局、次のバッターからも三振を奪い27奪三振の偉業を達成した。
結局、四球、死球、失策、振り逃げの4度出塁を許し他は全部三振のノーヒットノーラン。前人未踏の27奪三振の偉業を達成したが、本人は現実身を感じなかったという。
ちなみに次の試合でも2安打、24奪三振の快投をみせた。
その後、メジャーに昇格したが、1勝6敗。防御率7点台の成績しか残せなかった。
54回を投げて31奪三振で四球が32個という荒れ球で制球難。
当時のスタンミュージアル(セントルイスカージナルス)と会話をした時に「この世界にいたいのならストライクを投げなさい」と言われたという。
参考文献 週刊ベースボール(2,012年6月18日号)ベースボールマガジン社