昭和43年4月16日、1対3でリードされた2回の裏、近鉄は代打にルーキーの永渕洋三を打席に送りました。永渕は東映の先発石川緑投手の初球をライトスタンド中断にプロ初本塁を放ち、その後、勢いづいた近鉄打線は6連続長短打で6対3と逆転しました。
そして、3回の表、先ほど代打で打席に入った永渕がマウンドに上がり、スタンドのファンは沸きました。
永渕はこの回2回3分の2を投げ、本塁打を含めて3安打を浴びたものの、左腕の利点を生かし、左の強打者、張本勲を2打席連続で内野ゴロに打ち取り2刀流の役目を終えました。
この後、永渕はマウンドからライトの守備に就き、代打、投手、外野手の1人3役の役目を果たしました。
試合は、後半もつれ、9回の表に張本の同点ホームランが飛び出しましたが、その裏近鉄は、ロイのソロホームランが飛び出しサヨナラ勝ちをしました。
この年、永渕は先発1試合を含む、12試合に登板し、0勝1敗。防御率2.84の成績を残しました。打者としては、打率.274厘、30打点、5本塁打とチームに貢献。
ところが、翌年、ブルペンで鈴木啓示投手と並んで投球練習をしている時に、あまりにも速いボールを投げていることに驚き、自信を無くし、投手業を廃業。
この年から打者に専念をしました。
そして、昭和44年、打率333厘で見事、首位打者に輝きました。
球界きっての酒豪であぶさんのモデルにもなりました。
プロ野球B級ニュース事件簿 日刊スポーツ出版社