昭和44年、6月15日後楽園球場で行われた巨人対中日戦で、誰もが驚く光景を目にしました。
バッター王貞治に対して、中日の先発、小川健太郎は、カウント2-1と追い込んでから、アンダースローのモーションに入るとテークバックした右腕を背中に回して、そのまま、体の左側からヒョイと放りました。球は惜しくもボールとなりましたが、打者の王は唖然と見送り、スタンドからもどよめきが起こりました。そして、直後の球をライトフライに打ち取りました。
それだけではありません、次打席でも追い込んでから、同じ「背面投げ」で王貞治を幻惑しました。残念ながらこの球も、ワンバウンドのボールとなりましたが、この打席でもフルカウントから見事、三振に打ち取りました。
本人は前からよく練習していたとのことで、準備よく、この試合の始まる前に審判にも、背面投げの了解を取っていたそうです。
遅咲きの選手、小川健太郎はドラゴンズのエースでした。
31歳でプロ初勝利を飾った遅咲きの選手です。1967年には、29勝17敗の成績で沢村賞を受賞。
杉下茂、権藤博、小川健太郎、そして、その後、星野仙一、小松辰雄とドラゴンズのエースナンバー20を背負い今後も活躍が期待されました。
しかし、その後、1970年、八百長オートレースに関係していた疑いで逮捕。
球界を永久追放となりました。