PL学園に入学する前に、入学する中学生同士で鹿児島の指宿でキャンプがあったそうです。とても今では信じられません。
遠く離れた外野のポールに投げ当てた
そのキャンプで、桑田真澄が3歩助走をしてポールに向ってボールを投げ当てた、仰天、エピソードが残っています。その時に、清原がいましたが当時ピッチャーをしていました。
しかし、桑田のピッチングを見て諦めたそうです。
ピッチャーとしての挫折
しかし、入学するとその時のコーチの指導に合わなくて、スランプに陥り、投手を諦め野手に転向しました。
そして、ある日、野手転向後、桑田はバッティング練習中にでライトを守っていました。
その時に、清水一夫先生がライトのフェンスから現れ、通りかかりました。
桑田は「なんだあのとっつあん、でも、ユニフォーム着てるから挨拶をせなあかんな」と思っている時に打球が飛んできました。
その打球を処理した桑田は、ホームに向って遠投をし、それを見た清水先生は、すぐさま監督に直訴をしました。「あのライトピッチャーの球を放る。すぐにピッチャーにしろ」
こうして桑田はピッチャーに復帰しました。
清水一夫先生と運命の出会い
「今日から俺が預かるから」と言い、自らキャッチングを行いました。
「なんやその投げ方は、自分の好きなように投げい!」
桑田は外野から返球する様に、体を使って中学生時代のダイナミックなフォームで思いっきりに投げた。「そうや、それでええねん」
そして、構えたところに球が来ないと捕らない、「ボールをとってこい」
ピッチングが終わるとポール&ポール(レフトからライトまでのポール間を走る)ブリッジ
(しかもその上に清水先生が乗る)、そのあとは、スクワット100回、そしてそれが終わったら、ジャンピングスクワット100回や!
こうして桑田のピッチャーとしての基礎は出来上がっていきました。
もし、桑田がライトを守っている時に、打球がライトに飛んで来なかったら、
もし、あの時に、清水先生がライトのフェンスから現れなかったら、桑田真澄はプロの選手になっていなかったかもしれません。
清水先生との出会いが桑田真澄が、野球人としてのキャリアを生み、今後の人生を大きく変えたと言っても過言ではありません。