先頭打者で初球に死球を受け退場したデューシー

ロブ・デューシーは1987年にブルージェイズでメジャーデビュー、1995年に日本ハムファイターズに入団。

出典 Wikipedia Public domain

開幕戦でいきなり、ホームランを2発スタンドに叩き込みました。

この当時としては、珍しい、カナダ出身の選手でしかも肌の色は褐色でした。

外国人にしては、選球眼がよく、脚力もあり、ホームランの打てる恐怖の1番バッターとして活躍、打率249厘、ホームラン24本を放ち、初年度としてはまずまずの成績を残しました。

しかし、気性が荒く、年間3度の退場は日本タイ記録。9月16日のダイエー戦では、余裕でセーフのタイミングでホームインをするところ、キャッチャーの坊西浩嗣選手に、タックルを見舞い、両選手に乱れての乱闘騒ぎとなりました。外国人ケビン・ライマー選手と共に退場処分となりました。この2人は、普段は仲の良い友人でしたが、いざ、勝負の世界となるとやり合うのがプロの選手ですね。

しかし、それだけではありませんでした。

翌日、先頭打者としてロブ・デューシーがバッターボックスに入ると、藤井将雄投手が、初球にいきなり死球をぶつけ、これが前日の報復と感じたデューシーはキャッチャー坊西に襲い掛かり2日連続の退場、しかも先頭打者初球の珍記録達成となりました。

ある日、ホームゲームの東京ドームでの試合の時に、で家族をベンチ裏に招待してた日の事。デューシーがサヨナラホームランを放っちました。そして、あろうことか、自身の子供が興奮してベンチからグランドに出てくるではありませんか?そしてホームベース付近でしっかり親父と、抱き合ったシーンは未だに忘れられません。

先頭打者ホームランを8本も放ち、今後も期待されましたが、三振も多く得点も少なく、2年で解雇されました。

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