1997年の暮れ、村田真一が妹から電話があり、親父が癌で余命1年という事を聞かされた。
そして、遠征に甲子園行ったときに、親父とあった。その時に親父から言われた事が
「お前に頼みがあんねん、ほんの少しの時間でいいから長嶋さんに会いたい」
村田真一はビックリしました。この時、初めて、長嶋茂雄のファンだって事を聞かられました。
村田はこのシーズンの最後の甲子園遠征の時に、長嶋監督に、5分か10分だけ時間を頂けませんか?と伝えました。
「どうしたんだ村田」長嶋監督に自分の親父の事を伝えました。すると、
「馬鹿野郎、マネージャー予定は全部キャンセルだ、村田すぐ連れて来い」
当日は神戸の竹園旅館のバーで、5分どころではなく、30分も話してくれたそうです。
お前の親父は家族と一緒なんだから当然だろ。
この言葉に村田は、感激したそうです。
その後、村田の親父は長嶋監督と一緒に撮った写真を寝床に飾ってニヤニヤしていたそうです。
親父はきっと、息子が誇らしいときっと思っていたのだろう。何せ、あの憧れの長嶋茂雄と一緒に野球をしているのだから。
長嶋伝説はいろいろありますが、94年の日本シリーズで、「このシリーズは4勝2敗でジャイアンツが勝つ」もう、優勝は決まっている、俺がシュミレーションしたから。と言ったとか、あの伝説の10.8決戦で、もう俺たちの優勝は決まっているから、とか予言者のような伝説が数多くあります。
余談ですが、ちなみに、元木の仲人を勤めたのが長嶋茂雄で、乾杯の挨拶が村田真一でした。