夢の実現三浦番長とバッテリー

三浦番長と黒羽根のウソの様なホントの話し

99年に当時小学校5年生だった黒羽根少年は、上大岡駅前で行われたトークショウで花束を渡した。その際に「将来バテリーを一緒に組もう」と約束。

それから、月日が流れて2005年の高校生ドラフト3位でベイスターズに入団。

しかし、打撃に課題があり、黒羽根はベイスターズの正捕手、細山田、鶴岡の両正捕手の厚い壁に阻まれ、なかなか一軍に定着出来なかった。

 そして、2011年8月14日、ついに三浦投手とのバッテリーが実現。あれから、12年の月日を経て夢が現実となった。
しかも、この試合、あわや、完全試合かと思われるほどの好投で7回2/3を2安打無失点で通算140勝を挙げた。

こんな、夢の様な事が現実にあるなんて、野球とは、なんてドラマチックなストーリーなんだろう。

三浦のコメント

良いリードで引っ張ってくれて、感慨深い試合でしたね。何回も助けてくれたし、自信を持ってサインを出してくれたんで、自信を持って投げることができました。

黒羽根捕手へのインタビュー

「夢がかなって、勝って、最高です。(三浦投手は)いい球をどんどん選択してくれたし、相手もどんなリードするか分からなかったのも良かった」

現役最終打席でプロ初ホームラン

 1983年(昭58) 10月21日 14年生 石山一秀 現役最終打席でプロ初本塁打

【阪急17―15近鉄】後楽園球場では大洋の平松政次投手が巨人相手に通算200勝を達成し、藤井寺球場では近鉄の2年目、ドラフト1位入団の金村義明三塁手がプロ初を含む2本塁打7打点と大暴れした日、ほとんど新聞で記事にはならなかった珍しい記録が刻まれた。 “現役最終打席でプロ初ホームラン” の続きを読む

デーブの大久保起死回生の一発

93年のオフ、西武の野球に溶け込めず2軍でくすぶっていた大久保が巨人にトレードされました。

その次の年、94年の日本シリーズで、古巣の森西武と対戦することになったのです。

巨人の2勝1敗で迎えた第4戦。4-5で迎えた9回2死無走者の場面。

あと、ひとりで巨人が負ける。この場面で長嶋茂雄監督は、代打で大久保を起用しました。
 マウンド上は左腕の杉山賢人投手。初球ボール、あとは2球連続で空振りして簡単に、ツーナッシングと追い込まれました。

亡くなった親父に初めてのお願い

そのとき、大久保博元は打席の中で、3歳の時に亡くなった親父に初めてお願いしました。

 「オヤジ、このまま三振で終わったんじゃ、森監督がオレを『トレードに出して正解だった。どうせ、あれくらいの選手だよ』って言うだけだ。せめて、ファウルくらい打たせてくれ!」と。
  

奇跡が…
 そうしたら奇跡が…。投球に合わせてテークバックしたとき、西武の伊東勤捕手の黒いミットが視界に入ったのです。「ライオンズ伊東」という金色の刺繍が目の前に見えた。瞬間的に「高めの直球だ」と察知し、フルスイング。すると打球はレフトスタンドへ一直線。     レフトスタンドへ吸い込まれました。
起死回生の同点ホームランです。後にも先にも、打つ直前に相手捕手のミットの刺繍が見えるなんてことはありませんでした。まさに親父と神様が打たせてくれた一発だったのです。
ホームインしたボクは、相手ベンチにいる森監督に向かって、どれほど「どうだ」とばかりに指をさしてやりたかったか。
 

試合は結局、延長戦で巨人が負けましたが、西武を出された大久保が、ジャイアンツで見いだされ、9回の土壇場で古巣相手にやり返した、胸のすくような一撃でした。

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