中田翔の移籍問題

中田翔にペナルティはない

11日に日本ハムファイターズから出場停止になった中田が、巨人に移籍してもう試合に出てる?わずか、9日足らずで試合に出場し、巨人唯一の弱点であったファーストに入りスタメン出場を果たしました。ちょっと待てよ。

それはおかしい、結果的に巨人の戦力補強になってしまったのではないか?

それで、許される野球界であっていいのでしょうか?

中田翔には全くペナルティはないのか?

せめて、2軍スタートで、若手に交じって泥だらけになり、汗水たらして必死になって再生を目指すのではなったのか?

中村紀洋の件はどうだろう。

育成選手としてドラゴンズに入団をし、3桁の背番号を身に着けキャンプに参加。

若手に交じって必死に練習をして、オープン戦で実績を残し、晴れてドラゴンズと選手契約。

その年、レギュラーとしてシーズンを終え、リーグ優勝。それどころか、53年ぶりの日本一に輝き、見事MVPを獲得しました。

その活躍には、落合博満という、球界のレジェンドの存在があったかもしれません。

原辰徳監督には、落合博満のような、毅然とした選手起用の考えはなかったでしょうか。

そもそも無期限出場停止では?

もう、2試合目でスタメンはないだろう。

そもそも、中田選手は、無期限出場停止ではなかったのか?

中田が入ることにより、若手の出番が減ってチーム全体に不満が出て来る。2軍にいる若手達のモチベーションが下がってしまわないか。

ついでの謝罪会見でいいのか

巨人の入団会見をして、そのついでに謝罪会見らしき場面が報道されました。

謝罪会見はついでいいのでしょうか。

今回のジャイアンツ移籍は、社会全体にみても甘くないかい

一体、日本プロ野球のコミッショナーは何をやっているのだろう?

中田 翔がジャイアンツに移籍

中田翔

試合出場停止中の中田翔が、ジャイアンツにトレードされることが発表されました。

水面下での交渉

中田選手は先日、8月4日のエキビジョンマッチの日本ハム対DeNAの試合前、同僚選手に対して暴力事件を起こしたとして、無期限試合出場停止の処分を受けていました。

その後、栗山監督は、もう、このチームでは難しい、とのコメントを出しており、トレードの可能性が高くなっていました。

そしてこの日、ジャイアンツが獲得を表明。交換要員はおろか金銭の授与もなく無償トレードでの移籍となりました。

球界の紳士たれ

水面下で栗山監督、ジャイアンツ原監督の間で、交渉していた様です。

「ジャイアンツは球界の紳士たれ」と伝統があります。日本ハム時代の様にヒゲ、金髪、金のネックレスはご法度。キャプテンの1年上の坂本勇人、コーチの阿部慎之助、元木ヘッドと球界でもそうそうたる顔ぶれの中、野球人として、社会人として、原監督に更生を託しました。

若手への影響

もし、前席の力を発揮すれば、戦力的にアップは間違いありません。しかし、せっかく台頭してきた若手には残念でなりません。松原聖弥、石川慎吾、重信慎之介などは、他球団に行けばレギュラーになれる逸材です。2軍にいる若手のモチベーションも下がり、中田の獲得はジャイアンツの未来に影響を与える事となるしょう。

他の打力の弱いチーム、ドラゴンズが獲得したならどうだったでしょう?

ドラゴンズには大阪桐蔭の先輩、平田良介がいます。セリーグが盛り上がったに違いありません。

今後の楽しみ

しかし、移籍するからにはジャイアンツで思う存分暴れて欲しいですね。暴れると言っても暴力はいけません。

これも後輩ですが、藤浪晋太郎との対決も面白そうですね。

インコースの厳しい所に来て、デットボールになったら、どうなるのでしょう。

伝統の巨人対阪神戦も見逃せません。

首里高校甲子園の土の悲劇

首里高校

首里高校は1958年第40回大会に沖縄県として初出場を果しました。

優勝をして甲子園を決めた後、国際通りをトラックの荷台に乗ってパレードをしました。学校に戻ると先生、生徒がずっと待っていて大歓迎を受けました。

当時の沖縄県の野球事情はよくありませんでした。野球道具は学校からに支給され、米軍のお下がりを貰い受けることもありました。

球場にも外野スタンドの設置がなく、フェンスもないので、線を直接越えたらホームラン、ゴロで線を越えたら2塁打と草野球の様な決め事がありました。

甲子園に行く前に鹿児島の鴨池球場で、外野フェンスのクッションボールの処理の練習をして汽車に乗って甲子園に出かけました。

試合は大会2日目、福井の敦賀高校で、キャッチャーに阪神タイガースで活躍する、辻佳紀

(ヒゲの辻)が在籍していました。試合は12安打を浴びて3失点。わずか3安打の完封負け。試合終了後、選手達は、おのおのバットケースやスパイク袋に甲子園の土を入れて持ち帰りました。これは試合後によく見る光景です。

選手達は甲子園を去り、鹿児島から沖縄港に戻りました。しかし、沖縄はまだ、米国の統治下にあって植物防疫法により、甲子園の土を持って下船することは出来ませんでした。

そのまま、むなしく沖縄港の海に捨てられたのです。

この事実を知った、日本航空の客室乗務員が、甲子園の小石を首里高校に贈りました。

この行為に首里高校のナインが感銘を受け、後に、この小石を埋め込まれた甲子園出場記念碑「友愛の碑」を建立したのです。

そして、この甲子園の小石は、今も校内に静かにたたずんでいます。

中田 翔の暴力事件

過去には、鵜久森選手とベンチ裏のロッカーで、道具のかたずけ方で口論になり、先輩の鵜久森に対して「殺してみろーこらあー」と怒鳴り声をあげ騒動になっています。

各社、マスコミの報道によると、日本ハム中田翔選手が暴力事件を起こしました。

今回の件に関して川村浩二球団社長は、「暴力は決して許される行為ではありません、中田選手の行為はプロ野球の信頼を著しく傷つけるもの」と統一契約書違反による1軍2軍の試合出場停止の処分を下しました。

被害者は、27歳の中堅投手と発表されましたが、その後の報道によると、井口和朋選手と報じています。

8月4日に行われた、DeNAとのエキビジョンマッチの試合開始前の出来事。

最初はベンチ裏で和やかに話をしていたところ、中田翔がいきなり激高し、顔面を殴り、胸を殴打。そのまま壁に打ち付けられた井口は、腰を強打し、登板予定だったその試合を欠場せざるを得なくなりました。それで、チームの関係者の知るところとなり、事件が明るみに出ることとなりました。

その試合はこの当事者の中田も先発出場していましたが、1打席で交代させられ、球場を後にしました。しかし、この時の中田翔は一体どんな気持ちで打席に入ったのでしょう。

中田翔は日頃から、やんちゃで、チームメイトに対して、仲のいい選手へ冗談で小突いたり、叩いたり、いわゆる「イジリ」をしてコミュニケーションを取ります。今回は、これが行き過ぎて、口論になり手を出してしまったようです。

通常であれば、外部へ漏れることがなく、内々に処理して済ませることが出来たはずなのに、日本ハム球団はあえて、発表を選びました。これにはどんな意味があるのでしょう?

そういえば中田翔は、ふだんから清原和博を彷彿させるような、風貌、振る舞い、言動が見受けられます。巨人もそうでしたが、日本ハム球団としてもうこの「中田 翔」が制御不能になってしまっているのではないでしょうか?

日本ハムは、且つて大胆なトレードを仮策してきました。森本稀哲、糸井嘉男、吉川光夫

など、まだ、これからの選手を放出し、自前の若手をレギュラーに育てていきます。

野手では万波中正、野村祐希、が若手有望株で虎視眈々とレギュラーを狙っています。そして忘れてはいけないのが清宮幸太郎です。

今後の、日本ハム球団、そして中田 翔の動向に注目です。

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