村田真一の長嶋監督感動秘話

1997年の暮れ、村田真一が妹から電話があり、親父が癌で余命1年という事を聞かされた。

そして、遠征に甲子園行ったときに、親父とあった。その時に親父から言われた事が

「お前に頼みがあんねん、ほんの少しの時間でいいから長嶋さんに会いたい」

村田真一はビックリしました。この時、初めて、長嶋茂雄のファンだって事を聞かられました。

村田はこのシーズンの最後の甲子園遠征の時に、長嶋監督に、5分か10分だけ時間を頂けませんか?と伝えました。

「どうしたんだ村田」長嶋監督に自分の親父の事を伝えました。すると、

「馬鹿野郎、マネージャー予定は全部キャンセルだ、村田すぐ連れて来い」

当日は神戸の竹園旅館のバーで、5分どころではなく、30分も話してくれたそうです。

お前の親父は家族と一緒なんだから当然だろ。

この言葉に村田は、感激したそうです。

その後、村田の親父は長嶋監督と一緒に撮った写真を寝床に飾ってニヤニヤしていたそうです。

親父はきっと、息子が誇らしいときっと思っていたのだろう。何せ、あの憧れの長嶋茂雄と一緒に野球をしているのだから。

長嶋伝説はいろいろありますが、94年の日本シリーズで、「このシリーズは4勝2敗でジャイアンツが勝つ」もう、優勝は決まっている、俺がシュミレーションしたから。と言ったとか、あの伝説の10.8決戦で、もう俺たちの優勝は決まっているから、とか予言者のような伝説が数多くあります。

余談ですが、ちなみに、元木の仲人を勤めたのが長嶋茂雄で、乾杯の挨拶が村田真一でした。

キュバーからの亡命

ソフトバンクのアンディ・ロドリゲス選手(22歳)が日本への渡航の飛行機に搭乗しませんでした。先日、アメリカ合衆国で行われたオリンピックの野球大会予選が行われました。惜しくもキューバは2連敗を喫し、ソフトバンクのモリネロ、デスパイネ、中日ドラゴンズのマルチネス、ロドリゲスの4選手はアメリカを離れましたが、アンディ・ロドリゲス選手は空港に現れませんでした。亡命をした可能性が高いと報道されています。もし亡命となれば、ソフトバンクにとっては昨年のオスカーコラス外野手に続き2年連続となります。

おそらく、メジャーリーグ関係者、エージェントが間に入り亡命を誘われたのではないでしょうか?

かつて、メッツの名ショート、レイ・オルドネスは試合中に突然、外野スタンドに向って走りフェンスを越えて亡命しました。今ドラゴンズの4番ビシエドは筏でキューバを脱出し、ホワイトソックスに入団。多くのメジャーリーガーは筏で、フロリダ、もしくはドミニカに入り第三国からアメリカ入国という選手もいます。

このソフトバンク、ドラゴンズの両球団は、他球団とは違った補強をしており、キューバから選手を引き取り、自国で育成し育てていく戦略をとっています。キューバから安い年棒で譲りうける事により諸経費の削減は出来ますが、このように亡命が最大のリスクとなる事がよく分かりました。キューバにとって、選手を日本で育ててくれることにより自国のレベルアップにつながるとの計算でしたが、それも水の泡となってしまいます。

ひと昔前のキューバは、国際大会151連勝を飾り無敵でした。ところが、アメリカメジャーリーグへ亡命する選手が後を絶たず、国内の野球レベル低下が危ぶまれていました。現に、今回もべネゼイラ、カナダに負けてオリンピックに出られません。こんな状況を誰が予想したでしょうか?

今後のキューバ選手の行方、キューバ政府の行方に注目です。

燃えよドラゴンズの歌詞を検証する

今回は、「燃えよドラゴンズ」に出てくる有名なフレーズ、2番の歌詞を検証しようと思います。

1番高木が塁に出て   仮に四球で出塁したとする、ランナー1塁

2番谷木が送りバント  自分はアウトになるが、1塁走者が2塁に進む

3番井上タイムリー   ヒットを打って2塁ランナー高木がホームに帰り1得点。

打者ランナーが1塁に残る。

4番マーチンホームラン 井上が1塁にいるので、ツーランホームランで2点追加。

つまりこの攻撃で3点入ることになります。ヒット2本(ホームランを含む)で3点とは、何と効率の良い点の取り方でしょう。

ちなみに、この1974年のシーズン、2番の谷木恭平選手は送りバントの企画数は、わずか7個で、成功は6個しかありません。意外な数字でビックリしました。

そして、高木選手をバントで送ったケースは、これもまた、1シーズンでわずか3個。

谷木=バントという、イメージがこの歌からついてしまったのでしょうか?何しろ、古くからのドラゴンズファンであった僕でさえ、「2番谷木が送りバント」というフレーズは全く違和感がありませんから。

谷木はこの1974年のシーズン、86試合に出場。打率.274 本塁打2本 打点14の成績で準レギュラーという位置づけです。このシーズンの開幕の2番センターはジミー・ウイリアムスでしたが、不振で谷木選手に交代しました。

3番打者の井上弘明は73年に広島カープから、トレードで入団しました。持ち前の勝負強い打撃でレフトのポジションを獲得。1974年の成績は

打率.290 本塁打18 打点58。一見平凡な数字に見えますが、OPSが.835もあり、(.800あれば優良)全試合出場、3番打者でありながら盗塁も15個あり、チームの勝利に貢献していると思われます。

マーチンは与那嶺監督が直々に入団交渉を行い獲得した選手。この年にドラゴンズに入団し、打率.269 本塁打35本 打点87 OPS .867

優勝に大きく貢献しました。

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