明治大学名物監督島岡御大

全員グランドに出てこい!

昭和42年9月9日の深夜の明大野球部に島岡御大(吉郎)の野太い聞きなれた怒号に合宿所の全員が飛び起きた。

部屋の窓を開けると、グランドの中央に島岡監督が目に飛び込んできた。

グランドの中央、マウンドの手前付近にパンツ姿の御大が居る。 “明治大学名物監督島岡御大” の続きを読む

引退試合の最後の打者がホームラン

ベイスターズの村田修一が打ってしまった引退試合の涙のホームラン。

泣きながらベースを一周

広島市民球場で 広10 – 0 横 9回2アウト走者なしの場面。

1ストライク3ボールで佐々岡から村田選手が打った打球はホームラン。

普通であれば、喜んでダイヤモンドを廻るはずですが、村田選手は泣きながらベースを一周しました。
その後、佐々岡は次打席の選手を三振に打ちとりゲームセット。佐々岡が挨拶するために市民球場を一周してベンチに戻ろうとした際、
敗戦した横浜の選手たちが帰る中、村田は一人残って佐々岡さんの元に駆け寄ると再度、涙を流して謝罪。

佐々岡投手の引退試合

実は、この日の佐々岡投手の登板は、引退試合。通常であれば、最後のバッターは故意に凡打、三振に倒れるのがプロ野球の流れ、しかし村田選手はこの年、本塁打王のタイトルがかかっていました。

でも佐々岡選手は「気持よかった」と村田を激励。

村田選手はこのホームランがきっかけで本塁打王を争っていた選手と1本差で見事、本塁打王になりました。
村田選手は本塁打王は佐々岡さんの為、カープファンの為。と発言しました。

村田選手を恨むカープファンもいますが、私は彼がプロ野球界で最高のプロフェッショナルな男だと思います。

江川と掛布の怒りの敬遠

読売ジャイアンツ捕手の阿部慎之助の父親は掛布の習志野高時代の同級生で、同じく野球部に所属していた。高校時代は阿部の父親が4番を打っており、掛布は3番打者だった。今でも阿部の父親とは深い親交があり、阿部が子どもの頃から掛布に憧れていたのはこの縁に由来する。

千葉育ちもあってか、千葉出身の長嶋茂雄のことを敬愛している。デビューした年の5月21日の巨人戦でプロ入り初安打を記録したとき、掛布は三塁を狙ったが長嶋にタッチアウトされた。しかし、「憧れの長嶋」にタッチされたことがうれしくてたまらなかったという。

ある時、スランプに陥っていた掛布は長嶋に電話でアドバイスを求めた。するとミスター曰く「そこにバットある?あったら振ってみて」。首をかしげながら掛布は素振りの音を電話越しにミスターに聞かせた。音を聞いたミスターは「雑念を取り払え、無心で振れ!」と言う。今度は無心でバットを振り、音を聞かせる。すると「そうだ、いまのスイングだ。忘れるな!」と言い、電話は終わった。その後掛布はスランプを脱したという。

プロ入り後、江川は掛布に対する初球は必ずカーブを投げた。しかし、掛布はそれを見送り、ストレートを待って勝負したという。また、掛布によると一度江川が自分を敬遠したときにはその球が異常に早く、「本当は勝負したい」という意思を感じたという。

82年9月甲子園、1点のビハインド、2アウト走者2塁、藤田監督から 敬遠を命じられた江川は立ち上がった捕手のミットめがけて、快速球を投げた。掛布・江川が今語る、まるで怒りを吐き出すようなその敬遠快速球に込められていた。

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