日本シリーズ完全試合の舞台裏  

2007年の日本シリーズ第5戦での出来事。

この年の日本シリーズは、落合監督率いるドラゴンズとヒルマン監督の日本ハムファイターズとの対戦でとなりました。

地元札幌ドームで行われた、初戦、日本ハムファイターズが、ダルビッシュ有の好投で快勝。その後、ドラゴンズの3勝1敗でナゴヤドームに戻って来た5戦にその後、永遠と語られるであろう、物議をかもした継投が行われました。

練習時からいける

この日先発のドラゴンズの山井大介は、一世一代のピッチング。受けるキャッチャーの谷繁元信も、ブルペンでの投球練習からスライダーが「キレキレ」で今日は行けるとゲーム前から信じていました。

ダルビッシュはもう手が付けられない

2回の裏に、ドラゴンズは高卒ルーキーの平田良介のライトへの犠牲フライで1点をもぎ取りました。この場面もスライダーに、全く合っていなかった平田へ、裏をかいた配球で犠飛を打ち上げられました。バッテリーのミスだと思われます。

ちなみに第1戦もダルビッシュが投げましたが、その時もドラゴンズは、犠牲フライによる1点しか奪っていません(完投負け)。

つまり、ダルビッシュは、このシリーズ16イニングを投げて犠飛による2点しか与えていません。この年2年目のダルビッシュは、レギュラーシーズン後半から、すでに手が付けられない程の優れた、ピッチャーになっていました。

世紀の交代劇

いい当たりも野手の正面をつき、あれよあれよという間に、9回、ファイターズの最後の攻撃を残すのみとなり、ナゴヤドームの場内の雰囲気も最高潮に達していました。

53年ぶりの日本一達成よりも、日本シリーズ史上初の完全試合達成のボルテージはMAXとなっていました。

ところが「ピッチャー山井に代わりまして岩瀬」というアナウンスが・・・。

この時のナゴヤドームは異様な雰囲気となりました。歓声と悲鳴が入り混じって、誰もがこのアナウンスを疑いました。

完全試合継続中の投手を代える

落合監督のこの勇気はある意味凄い。試合後の談話で、「ずっとこの投手で勝ってきたから、最後は岩瀬。」という理由だけで岩瀬に交代させる落合の考えはさすが「俺流」。

後日の談話で、先発の山井が、4回くらいから指にマメが出来ていて、ユニフォームに血が滲んでいた事と、交代は「もう、いっぱいいっぱいです。」と本人からの申し出があったと伝えられました。キャッチャーの谷繁も、「後半に入りいい当たりの外野フライを何本か打たれていたので交代は仕方がない」と語り、立浪も岩瀬に交代と思っていたそうです。

しかし、これらの証言は本当でしょうか?

その時井端弘和は岩瀬への交代は当然の事だと語っていますが、川上憲伸は自身のyou tube チャンネルで

ベンチ裏にいた川上憲伸がくつろいでいると、そこへ山井大介が現れ、落ち込んだ様子で、がっくり肩を落としていた「川上がどうたん?」と声をかけると「なぜか交代なんです」と証言をしています。

このやり取りからすると、交代は本人の意思ではなく首脳陣の判断に違いありませんね。

幻のホームランを打たれて幻のホームランを打った駒田 桂二

投手でありながらバッティングも良かった駒田は、1951年7月25日の大阪スタジアムでの阪神対松竹戦で2回1アウト1.3塁の場面で相手先発投手、林直明から3ランホームランを放ちました。ところが、投手の林がセットポジションの時に完全な停止をしていなかったという理由で、ボークとなり、ホームランが取り消しとなりました。

とこらが、駒田はもう一度、幻のホームランを味わう事となります。

1954年7月25日の中日戦での試合での出来事。

この日先発の駒田投手は、延長10回の表に、ドラゴンズの5番杉山悟からツーランホームランを打たれました。

しかし、その裏のタイガースの攻撃中に、ドラゴンズのキャッチャーの河村保彦のファウルチップを巡るトラブルで、試合の続行を拒否した為、放棄試合となりました。

当時の公式記録の認定が「イニングの表・裏の完了がなければならない」規定であった為、杉山の本塁打がルールにより取り消され、幻の本塁打となりました。

駒田は唯一「幻の本塁打」を「打った」、「打たれた」選手として経験した事になりました。また、現在では公式のルール改正により、いずれも本塁打として認定される様になっています。

投手でありながらバッティングセンスも良く、通算で.217の打率を記録しています。

また通算本塁打数は1本のみですが、「幻の本塁打」をも含めると2本打った事となります。

1949年のシーズン途中に大阪タイガースに入団し、当初は制球力に難がありましたが、それを克服し翌年から頭角を現しカーブが武器の投手で7勝を挙げました(6敗)。その後は、先発投手としてチームを支えました。

2012年 死去。86歳没。

ボール挟まり事件

2021年5月2日 楽天生命パークの楽天対ロッテ戦での出来事。

4回1死1塁の場面。ロッテの4番安田が放ったレフトへの飛球に、楽天の左翼手、島内が背走し、ジャンピングキャッチを試みるが及ばず、フェンスに当たって跳ね返って来たであろうボールを探した?が見当たりません。それもそのはず、レフトのフェンスのラバーの間にボールがスッポリ挟まってしまいました。中堅手の辰巳がボールを発見した時は、すでに1塁ランナーがホームに、打者走者も3塁に進塁していました。

公認野球規則では、フェンスなどにボールが挟まって捕れなくなった場合、打者、走者に2個進塁が認められることになっており、1死2,3塁で、試合が再開となりました。

ところが、9回2死1塁の場面で、楽天の守護神、松井裕樹が投じたボールがキャッチャー太田の防具にスッポリ挟まってしまいました。こちらも公認野球規則では、「投球が捕手のマスク、及び防具などに挟まって止まった場合」走者が進塁することが定められており、2死2塁のピンチとなりましたが、打者を三振に打ち取りゲームセットとなりました。

1試合で2度ボールが挟まり、しかも途中雨で中断することもあり、この試合は珍事の連続となりました。

ちなみに、前日には、レフトのファウルフライをスタンドの観客が妨害し、ファウルフライが一転、アウトになるハプニングがあつたばかりで、2日続きの春の珍事でした。

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