86年から94年の西武ライオンズ

寝業師、根本陸夫が作り上げた常勝チーム。

管理野球の広岡達朗、森昌監督へと引き継ぐ。

プリンスホテルからチームリーダの石毛宏典が入団から始まった。その脇をドラフト外で秋山幸二、練習生の名目で伊東勤を獲得し、正捕手へ育て上げた。外国人はデストラーデ、台湾から、郭泰源、86年に清原和博を獲得。その後も工藤公康、石井丈裕を主力メンバーへ育てていく。

92年にはベストナインに8人が選出するなどタイトルを独占。あまりにも強すぎたことで面白みに欠けるという野球ファンもいた。

走攻守とバランスの良い選手を獲得し、育成していくやり方は現代の育成システムへと繋がっていく。

2B 辻発彦

ライト平野謙

センター秋山幸二

1B  清原和博

DH デストラーデ

SS  石毛宏典

レフト 安部 里

キャッチャー  伊東勤

3B 田辺典雄

主な投手

渡辺久信

工藤公康

郭 泰源

石井丈裕

東尾修

鹿取義隆

    宮國椋丞選手おめでとう

    沖縄糸満市出身で、2011年ジャイアンツからドラフト2位指名されて入団。

    出典 Wikipedia Commons

    2年目の春のキャンプで頭角を現し、若きエースとして期待をされていました。当時の堀内恒夫監督も絶賛していました。

    そして、この年の2012年は飛躍の年となり、春のオープン戦では、オークランド・アスレチックを相手に先発、5回を投げ9奪三振を奪い1失点。

    このピッチングで認められて開幕ローテーション入り、5月には対広島戦で初完投を初完封で飾り10代で完封勝利は桑田真澄以来の快挙を成し遂げました。

    そして、2013年には、開幕投手まで務めた逸材で将来を嘱望されていました。

    しかし、その後肩痛に苦しみ、中継ぎに転向。

    その後も、思うような結果が得られず、昨年末、ジャイアンツを戦力外。

    まさかの低迷で、あの宮國がここまで落ちぶれたのかと残念な思いでした。

    2020年の12球団合同トライアウトを受けるも、どの球団からもオーファーがありませんでした。

    その後も、地道に東京都内、神奈川県内でトレーニングに励む宮國に、DeNAベイスターズが注目しており、密かにメディカルチェックを行い育成契約を結びました。

    そして、8月下旬に選手契約を行い、晴れてこの日先発登板となりました。

    奇しくも相手は、ジャイアンツ時代の師匠、菅野智之でした。

    初回は、元、チームメイトがいるジャイアンツと言うことで、遠慮があったのか、厳しいインサイドを責めることが出来ず、2点を奪われました。

    その後も、幾度もピンチを背負いましたが、粘り強いピッチングで後続を断ち、5回を投げ切りました。

    すると、味方打線が爆発、楠本のスリーランなどが飛び出し、菅野から7点を奪って逆転。

    余談ですが、菅野との師弟対決は2安打を浴び、洗礼を受けました。

    しかし、見事なピッチング、少しテークバックで止めるような動きで、打者のタイミングを外し、スライダーを外から投げたりと工夫がみられました。

    ベイスターズからジャイアンツへは、主力選手のエースの山口、核弾頭の梶谷がFAで移籍をしており、そのジャイアンツを戦力外になった宮國の投球は、見ていて爽快でした。

    宮國投手、おめでとう。そして、お金に糸目をつけず、他から戦力を集めて来るジャイアンツを倒して欲しい。

      一本足打法の系譜

      投手との間合いをはかって、タイミングを合わせる打ち方で、投手とシンクロする特殊な打法。取得するのが難しい。

      この打法の第一号は、ご存じ王貞治。

      武士道的な心得が必要

      荒川博コーチとのマンツーマンの指導で、世界のホームラン王となりました。

      畳の上での木刀での素振り、名刺で割り箸を割るなど、伝説に残る練習をして会得しました。勝負する投手との相手との間合いを合わせる打ち方で、まさに、武士道的な心得が必要な打法です。

      しかし、当初は上手くいかず、何度も挫折し諦めかけました。

      当時の川上哲治監督も、いつか二本足に戻すだろうと。ところが、王貞治は頑固として、この一本足打法を貫き、世界のホームラン王に輝きました。

      中距離打者の一本足 片平晋作 

      高校時代に王貞治の真似をして打席に入ったら、自分のポイントで打てた。それから自分の物にしたという。

      皆、王貞治に憧れました、そして一本足打法に挑戦するも、物にした選手は数少ない。

      その数少ない選手片平晋作。とにかく王さんの真似をしたと言う。

      夏場に王選手が半袖にすると、すぐに半袖にしたという、しかし、本人は「そりゃ、夏場になればだれでも半袖にするでしょう」と反論。

      王さんと、指の絆創膏の位置が違うと言われたことも。

      長距離打者でなく、中距離ヒッター、長打にこだわらず自分なりの打撃を磨いた。

      徹底的に振込み自分にあった一本足打法を確立しました。

      南海で、初めてレギュラーを獲得すると79年に初めて規定打席に達して、リーグ3位の打率329。80年には自己最多の21本塁打を放つ。

      しかし、西武ライオンズにトレードされてからが片平の円熟期。

      田渕幸一からの1塁の守備位置を奪い、勝負強い打撃で82年のリーグ優勝、日本一に貢献しました。

      ホームランの打ちそこないがヒット 門田博光  

      この打法で一番高く足を上げていたのが門田博光。

      王貞治とは違って、綺麗な一本足ではなく、大きくて足を上げてタイミングを計るのではなく、体の反動で打球を飛ばす一本足。

      1971年に、31本塁打を放ち、打点王を獲ったこの年から、大振りが目立ち打撃を崩すことが多くなり、みかねた当時の野村監督は、王貞治に頼んで、「ヒットの延長がホームラン」と2人がかりで説得を試みました。しかし、逆に反論してきて、王選手を唖然とさせたと言うエピソードが残っています。

      野村監督はオールスターで戦でも、大杉勝男にも説得を依頼したと言いう。

      79年の春のキャンプでアキレス腱の断裂の大怪我をした際にも、

      「じゃあ、ホームランを打てばいいんでしょう」と全打席フルスイングをしてホームランを狙っていきました。

      アキレス腱断裂の怪我が転機

      門田博光は周囲の声を聞かず、フルスイングにこだわり続けました。

      そして、アキレス腱断裂の怪我以降、年齢が上がるにしたがってホームラン数が増えていきました。

      40歳にして打率311 44本塁打、125打点でMVPに選ばれました。本塁打王、打点王、そして40歳にしてMVPを獲得したのは門田博光だけです。

      新しいタイプの一本足打法

      そして、今年、ドラゴンズに育成出身の渡辺勝が現れました。

      2015年に、育成でしかも最下位指名の6位入団。

      大学時代に荒川博に従事したことから、構えから、初動まで、王貞治そっくり。

      現代野球に、この打法合わないとの意見が多い中で、自分の意思を貫き通し取得。

      そして、2018年ドラゴンズと選手契約をし、6年目の27歳の遅咲き外野手。

      どちらかというと守備、そして足のスペシャリストとして1軍へ昇格しましたが、今年は打撃も向上、先日の広島戦でも広いバンテリンドームのライトスタンドへ一発を放ちヒーローになりました。

      機動力を兼ねそなえた新しいタイプの一本足打法は、プロ野球界に新たな旋風を起こすかもしれません。

      今や絶滅危惧種のこの打法で、プロ野球で勝負している、渡辺勝にはこれからも期待したい。

        伝説のヘディング事件宇野勝

        宇野勝

        それは1981年8月26日の出来事。当時、私は高校生で、この試合は親父と一緒にテレビ観戦をしていました。今では考えられませんが、昔、巨人戦は全試合テレビ放送があるのがごく、当たり前の時代でした。 “伝説のヘディング事件宇野勝” の続きを読む

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