武士の情けでの中止 勝つか、引き分けで前期の優勝が決まる大事なこの試合の先発は当時のエース、左腕の村田辰巳でした。このシーズン、鈴木啓示は調子が悪く、大事な試合は村田が登板していたのです。
実は、前日、少し雨が降りましたが、ゲームが出来ていたのにも関わらず、試合開催の権利のある南海ホークスの広瀬監督は強引に中止としました。前期シーズンの終盤、近鉄のゲーム日程が連戦で詰まっており、武士の情けでの中止決定でした。西本監督は遠くにいた広瀬監督に、両手を合わせました。
大阪球場は3万2千人の大観衆。ゲーム展開は僅差のまま、終盤を迎えることになりました。
近鉄1点リードの8回裏、南海は2塁1塁のチャンスを迎え、バッターは左腕キラーの阪本敏三。阪本の打球は、二遊間をしぶとく破りました、打球は緩くセンター前に転がり、ランナーは俊足の定岡が3塁を蹴り本塁へ突入しました。
鬼の形相の平野光泰 誰がどう見ても2塁ランナーが帰り逆転。ところが、一人だけあきらめてない男がいたのです。センターを守る、ガッツ平野。ものすごい形相で突進し、この打球を捕った。そして平野は怒っていた、泣いていた。「なんでや、こんなに練習してきたのに、クソ暑い日も、寒い日も、休みもなしで練習してきた、なんで俺たちは負けるんやねん。チクショウ、ふざけるな。」
そして吠えた、投げた。バカヤロー。
キャッチャーの梨田が驚いた。ドンピシャのストライクがノーバンで返ってきたのです。
定岡は猛然とスライディング、粉塵が舞う。球審の手が上がる。「アウト」
信じられないという表情で定岡が呆然と立ち尽くしました。
球史に残る、平野執念のバックホームである。
その後、9回の攻防も無失点で切り抜け、近鉄バッファローズが初優勝を飾りました。
当時、地元の名古屋ラジオで視聴していた筆者は当時、中学生。平野のバックホームのシーンは鮮明に覚えています。
そして、この後、近鉄バッファローズは広島カープとの日本シリーズで対戦し、あの「江夏の21球」の伝説に繋がるのです。