当て馬のはずがそのまま登板し完全試合の佐々木吉郎

当て馬、という表現は現在では死語となっていますが、昭和のプロ野球には頻繁に行われていました。

当て馬とは、相手のチームを欺くような選手起用。試合出場の可能性の無い選手をスタメンに起用して、相手の出方を診て、選手を入れ替える事。

そんな当て馬起用の選手が完全試合を達成したゲームがあります。

昭和39年9月23日。大洋対広島のダブルヘッダーの第2試合の先発は入団4年目の佐々木吉郎。

しかし、故障で右肘の軟骨が2カ所飛び出ているとの事で、手術は出来ず短いイニングしか投げられない状態。しかし、飛び出した軟骨と軟骨の間に注射を打つ荒治療を経て回復しました。この試合、大洋の三原監督は広島ベンチに左腕小野正一の起用を読まれていると思い、急遽、当て馬に佐々木の先発起用を決めました。広島が佐々木攻略に左打者を出してきたところに小野を投入し試合を有利に進める腹積もりでした。

こんな事情で登板した佐々木でしたが、初回を簡単に3者凡退に抑えると、ヒット性のファウルを何度か打たれながらも、2回以降もあれよあれよと凡退で退け、気が付くと5回までパーフェクトピッチングでした。大洋ベンチからも「お前パーフェクトをやらないか」と冷やかしの声が上がりました。

7回の大和田明に対してワンスリーのカウントになった時は苦しかったそうですが、何とか、ファーストフライに打ち取り、8回もクリーンアップを無難に抑えました。

そして、最後の打者、阿南準郎をライトフライに打ち取り1対0の勝利を飾り、史上8人目の完全試合を達成しました。

こうして、初回限定当て馬起用のはずのピッチャーが9回を完投したばかりでなく、思ってもみなかった大記録を達成しました。

この年、佐々木は38試合に登板し自己最多の8勝を挙げています。

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