嶋 清一

和歌山県中学校出身。

足を高く上げ、流れるようなフォームで強靭な左腕から投じられる剛速球と垂直に落ちるかのような「懸河のドロップ」は、当時の中学野球のレベルをはるかに超えるものだったと言われている。

昭和14年の夏の甲子園では圧巻の投球。史上初の5試合連続完封、しかも、準決勝、決勝で2試合連続ノーヒットノーランを達成し全国制覇。

決勝では2人のランナーを四球で出したが、いずれも塁上で刺し、27人で切りの完全な内容。

ちなみに池田高校の名将、蔦監督は徳島商業のピッチャーとして対戦。阪急、近鉄で監督をした西本幸雄らが、嶋と対戦し、

「彼の球は本当に速かった。戦争がなければ職業野球(プロ野球)に入ってもっと活躍していただろう」と語っている。

学徒出陣によって海軍に応召。大学の先輩である天知俊一によると、嶋は入営前に「戦争がなければ朝日新聞の記者になりたかった」と天知に告げたという

昭和20年3月29日シンガポールから門司に向かう輸送船団の護衛任務でベトナムの海岸線付近を北上中に、アメリカの潜水艦の雷撃に遭い戦死した。満24歳没 。

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