幻のホームランを打たれて幻のホームランを打った駒田 桂二

投手でありながらバッティングも良かった駒田は、1951年7月25日の大阪スタジアムでの阪神対松竹戦で2回1アウト1.3塁の場面で相手先発投手、林直明から3ランホームランを放ちました。ところが、投手の林がセットポジションの時に完全な停止をしていなかったという理由で、ボークとなり、ホームランが取り消しとなりました。

とこらが、駒田はもう一度、幻のホームランを味わう事となります。

1954年7月25日の中日戦での試合での出来事。

この日先発の駒田投手は、延長10回の表に、ドラゴンズの5番杉山悟からツーランホームランを打たれました。

しかし、その裏のタイガースの攻撃中に、ドラゴンズのキャッチャーの河村保彦のファウルチップを巡るトラブルで、試合の続行を拒否した為、放棄試合となりました。

当時の公式記録の認定が「イニングの表・裏の完了がなければならない」規定であった為、杉山の本塁打がルールにより取り消され、幻の本塁打となりました。

駒田は唯一「幻の本塁打」を「打った」、「打たれた」選手として経験した事になりました。また、現在では公式のルール改正により、いずれも本塁打として認定される様になっています。

投手でありながらバッティングセンスも良く、通算で.217の打率を記録しています。

また通算本塁打数は1本のみですが、「幻の本塁打」をも含めると2本打った事となります。

1949年のシーズン途中に大阪タイガースに入団し、当初は制球力に難がありましたが、それを克服し翌年から頭角を現しカーブが武器の投手で7勝を挙げました(6敗)。その後は、先発投手としてチームを支えました。

2012年 死去。86歳没。

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