昭和39年5月5日、巨人広島戦のダブルヘッダーの第一試合。
広島の監督白石勝巳は、王貞治が打席に入ると、野手を右半分に野手6人を集める、いわゆる王シフトを敷いた。
三塁手はショートのすぐ左、ショートは2塁ベースの右側、2塁手は1塁ベースより、一塁手はベースの一塁線ギリギリに守った。
王の打球がライト方向に偏ることから編み出した戦術。レフト方向をがら空きにする極端なシフトを敷いた。
王は2日前の阪神戦で4打席連続ホームランを放っており、この試合の1打席目に5打席連続ホームランの記録がかかっていた。この戦法はものの見事に当たり、4打席無安打に抑えた。しかし、第2試合目の7回にバックスクリーンの右側に同点打を放った。
白石監督は王ほどのバッターはシフトを敷いたって役に立たないと思っていたが、流し打ちをさせることによってフォームを乱し、元に戻るのに時間がかかると思い作戦を実施した。
その後も王シフトは続いた、本来なら1、2塁間を抜けるあたりがセカンドゴロになったり、センター前に抜けるあたりがショートゴロになったりしたが、王は流し打ちの誘惑に負けることなく自分の打撃を貫いた。
しかし、同年の7月15日の広島戦で王は、珍しく3塁戦にセーフティバントを試みた。
打球は、三塁線を転がり、ベースの内側を通過して無人のファウルグランドに転がった。王シフトをしていた内野手は誰も追いつかず、ボールが転々としている間に王は悠々と2塁に到達した。
しかし、バントを試みた王は「相手がいないところを狙うのは、気持ちのいいものではない」とコメントしている。
出典 Wikipedia Public domain
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