二死からのサヨナラセーフティバント

1983年6月5日 阪神戦での出来事。9回裏2死満塁で高木豊がバッターボックスに入る。

ピッチャーは抑えの切り札、山本和幸。もともと左バッターの高木豊だが、この年は右打席にも挑戦し打席に入っていた。ところが思ったように成績が上がらず、この打席も左ピッチャーにも関わらず左打席に入った。

サヨナラを期待するスタンドの声援。ところが高木豊は冷静だった。サード掛布の位置が三塁より、ショート真弓のポジションも深い。満塁だから初球からストライクを投げてくる。高木豊の読み通り、初球、真ん中高めにストライクが来た、迷うことなく三遊間にプッシュバントを決めた。意表を突かれた阪神内野陣はなすすべもなく打球を見送るだけだった。

両チームの選手、スタンドの誰もが予想もしなかった、二死からのサヨナラセーフティバント。見事なアイデアだった。

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