GHQの総合司令官ダグラス・マッカーサーの部下である、ウイリアム・フレデリック・マッカートが大変野球好きで、今日のアメリカ合衆国は二大政党、二大リーグでバランスの取れた自由競争で繁栄を築いた考えた。
もう一人の部下であるキャッピー原田が、マッカーサーに正力松太郎を紹介し、「日本の野球を、大リーグと互角に戦えるまでレベルを上げたい、是非、貴方の力を貸して欲しい」とのことで二リーグの誕生、サンフランシスコ・シールズの来日となった。
GHQが二リーグの誕生に果たした役割は大きい。
そして、来日したサンフランシスコ・シールズは巨人を中心とする選抜チームを歯牙にもかけなかった。
シールズはパシフィック・コーストリーグに所属する3Aクラスのチーム。そんなチームに一矢も報いることのできなかった無力感は、以下の文面にはっきりと窺える。<川上、別当、大下、藤村、青田、小鶴、西沢などを擁した全日本すら一度も勝てなかった。