プロ野球の復興

敗戦から丁度、100日目の昭和20年11月23日、明治神宮球場で行われた東西対抗戦で日本のプロ野球は再興の道を歩み始めた。

打ちひしがれた日本の焦土に希望の球音が響いた。

1時11分、杉浦正一郎の右手が上がり日本プロ野球の復活を告げる東西対抗が始まった。

日本プロ野球の父、正力松太郎、読売新聞社長をはじめとする経営者たちは、終戦の混乱の中で身動きが取れず、後楽園球場、甲子園球場も軍の管理下に置かれ、グランドも畑、兵器の保管場所にされ使えなかった。

それでもプロ野球再建のために奔走する、鈴木龍二(元、セリーグ会長)と鈴木惣太郎はGHQと交渉にあたる。そして西宮球場に奇跡的に戦災や接収で逃れていた、野球用品、ボール4ダース、バット8本、グラブ5個、ミット1個を東京まで運び、東西対抗戦に使われた。鶴岡一人は「アメリカが進駐して来るのならば必ず野球も再開されるはずだ」と考え、除隊後すぐに堺市中百舌鳥の南海合宿所に住み込みチーム再建に奔走した。

また、同じく西宮球場に保管されていた、戦前の阪急の濃紺ユニフォームがあった。それを借り受け、阪急のロゴを剥がし、プロ野球チームとしてのろしを上げたのがセネタースであった。(日本ハムの前身)

NHKラジオの名アナウンサー志村の第一声は「久しぶりに本当に久しぶりに職業野球の実況をお送りいたします」そして、復興の第1球投じたのがのちにプロ野球初の完全試合をやる藤本英雄。

選手の多くが復員組で、ろくに練習も出来ず、制球スピードも不足し乱打戦となり19対15で東軍が勝利。

選手は戦闘帽をかぶり、ユニフォームはバラバラ、大下は軍靴を履いてプレーしていた。

焦土の日本でゼロから始まった東西対抗。それはまさに、華々しい国民的娯楽、プロ野球再開の幕開けであった。

参考文献 BBM MOOK スポーツ20世紀

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