93年のオフ、西武の野球に溶け込めず2軍でくすぶっていた大久保が巨人にトレードされました。
その次の年、94年の日本シリーズで、古巣の森西武と対戦することになったのです。
巨人の2勝1敗で迎えた第4戦。4-5で迎えた9回2死無走者の場面。
あと、ひとりで巨人が負ける。この場面で長嶋茂雄監督は、代打で大久保を起用しました。
マウンド上は左腕の杉山賢人投手。初球ボール、あとは2球連続で空振りして簡単に、ツーナッシングと追い込まれました。
亡くなった親父に初めてのお願い
そのとき、大久保博元は打席の中で、3歳の時に亡くなった親父に初めてお願いしました。
「オヤジ、このまま三振で終わったんじゃ、森監督がオレを『トレードに出して正解だった。どうせ、あれくらいの選手だよ』って言うだけだ。せめて、ファウルくらい打たせてくれ!」と。
奇跡が…
そうしたら奇跡が…。投球に合わせてテークバックしたとき、西武の伊東勤捕手の黒いミットが視界に入ったのです。「ライオンズ伊東」という金色の刺繍が目の前に見えた。瞬間的に「高めの直球だ」と察知し、フルスイング。すると打球はレフトスタンドへ一直線。 レフトスタンドへ吸い込まれました。
起死回生の同点ホームランです。後にも先にも、打つ直前に相手捕手のミットの刺繍が見えるなんてことはありませんでした。まさに親父と神様が打たせてくれた一発だったのです。
ホームインしたボクは、相手ベンチにいる森監督に向かって、どれほど「どうだ」とばかりに指をさしてやりたかったか。
試合は結局、延長戦で巨人が負けましたが、西武を出された大久保が、ジャイアンツで見いだされ、9回の土壇場で古巣相手にやり返した、胸のすくような一撃でした。