林 安夫

愛知県一宮中(現・一宮高校)時代はスピードのある直球と制球力を駆使し1941年の選抜大会で準優勝。

1942年の朝日軍に入団。プロ野球では変化球と制球力で勝負し1年目に32勝を上げ防御率1.01で最優秀防御率のタイトルを獲得。この年の投球回数541回1/3 先発51試合の記録は未だにプロ野球の日本記録である。

翌1943年は前年の酷使の影響か登板数は減ったが20勝を上げた。

また、バッティングもよく投手ながら5番ライトの出場も多かった。

やがて1944年に応召し、フィィリピン方面に出征。そして戻って来ることはなかった。

戦死したと考えられ、死亡日時や場所は現在に至るまで不明のままである。

Wikipediaより出典

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