助っ人2塁手玉突きトーレード

63年に西本監督が就任した阪急はお荷物球団でこの年、脱却の為、必死の補強を試みた。

ダリルスペンサーの活躍で一気に2位に躍進した。ところが、9年間セカンドを守り続けたバルボンが浮いてしまった。バルボンは55年にキューバから入団し、3年連続盗塁王に輝くなど、弱小、阪急を支えてきた功労者だった。30歳を過ぎて力は衰えていたが、この年はサードを守りいぶし銀のプレーを披露していた。

だが、本職のサードの方が実力を発揮出来ると思った西本は、同じお荷物球団の近鉄にトレードを考えた。ところが近鉄には2年連続首位打者を獲得したブルームがいた。

しかし、近鉄は守備に難のあるブルームよりも、安定感のあるバルボンを望み、そしてブルームは南海へトレードとなった。

ここまでの経過も珍しい話だが、驚くべきは翌65年の3人の成績である。

スペンサーは前年を上回る38本塁打を放ち、7月16日には外国人初のサイクル安打を達成した。また、バルボンは125試合に出場し、犠打や盗塁などを決め貢献、ブルームも打率.302を記録。

日本人同士でもみられない、助っ人同士のこのトレードは3球団ともに大成功となった。

 

参考文献 ベースボールマガジン社 トレード史

    PAGE TOP
    %d人のブロガーが「いいね」をつけました。