2001年 9月26日、スコアボードは2-5。残された攻撃は、9回裏の攻撃のみ。
この日、近鉄が勝てば優勝が決まる一戦でした。マウンドにはオリックス、抑えのエース大久保勝信が立ちはだかっていました。 近鉄も、劣勢の中、9回の表に守護神の大塚晶文を出しました。この後、地元大阪ドームを離れてロードに出る。どうしても地元で優勝を決めたかったのです。
この回、先頭の吉岡雄二が、火の出るようなレフト前ヒットで出塁しました。
この時、ブルペンにいた控え投手がモニターに集まり、何かが起こると叫んでいました。でもまさか、そんなドラマが起こるとは、誰も思っていませんでした。
次打者、川口憲史が一塁線を破って2,3塁となり、続く、益田が四球を選び満塁となり舞台は整ったのです。
このチャンスに、梨田監督は、古久保健二に代えて、あらかじめ決めていた代打北川弘敏を告げました。この時、梨田監督は、「北川は調子に乗りやすいから、もしかしたら」と思いました。
北川は打力をかわれて阪神から移籍してきましたが、実績はほとんどなな、本塁打も通算5本しか打っていなかったのです。
ピンチこそ招いたが、大久保の調子は悪くありません。たちまちにツーナッシングに追い込こまれました。しかし、この後に続くバッターは、ローズ、中村と重量打線。ベンチもファンも次にいい形で繋いでくれたらと希望を寄せていたのです。梨田監督も併殺だけは勘弁してくれと願いました。
1球はずれて2-1となり、次に起こることは想像の範囲外でした。
9回の表に登板した大塚、先頭バッターの吉岡、続いた川口、四球を選んだ益田も、自分の役割を果たし、個々の力が結束してこそミラクルが起こる。
ボールが大久保の手から離れた瞬間、梨田監督は「ああ、これは」と思った。
次の瞬間、北川のバットに閃光が奔った。
スライダーだった。少し泳いだがうまくバットの芯で捉えた。
打球は激しく打ち出され、バックスクリーン左奥に消えた。
北川がヘルメットを投げ、飛び跳ねている。みんながベンチを飛び出てくる。
球場内は歓喜と興奮の坩堝、いや、爆発的なうねりとなった。
史上初の優勝決定、代打逆転サヨナラ満塁ホームラン、しかも6-5の釣銭なし。
ここに完結しました。
参考文献 スポーツスプリット21 発掘プロ野球名勝負 ベースボールマガジン社