ピッチャーで最終打席本塁打を放った掘内恒雄

ピッチャーで現役最終打席本塁打を放った。

打撃では1試合3本塁打を1度(ちなみに3打席連続。投手で唯一)、通算21本塁打を記録している。V9時代を含め、12回のリーグ優勝、9度の日本一に貢献した。1980年6月2日の対ヤクルト戦で200勝を達成。

しかし、1981年藤田元司が監督に就任すると、江川卓、西本聖、定岡正二の台頭により登板が急激に減り、1982年に投手コーチ兼任となる。1983年限りで引退。

引退試合で最終回の話は有名である。ベンチで堀内のために「最後の打席を回そう」という声が上がった。まず駒田が本塁打。その後、吉村禎章らがヒットでつなぎ、本当に堀内に打席を回してしまう。そして続く堀内は意気に感じたのだろう、なんとその現役最終打席、本塁打を放っている。

33年間、新丸子の巨人軍合宿所の寮長を勤めた鬼軍曹。

躾は厳しく、朝食はきちんと着替えて食べる。
部屋は常に整理整頓しておかねば雷が落ちる。

門限破りは、見つかると竹刀でぼこぼこの制裁。

堀内恒夫などは新調したスーツを着たまま風呂に飛び込んで隠れ難を逃れ、朝帰りした王さんは、予めポケットにしのばせておいた歯ブラシで歯を磨きながら、何食わぬ顔で「おはようございます!」と誤魔化した。

仲間に二階の窓を開けておいてもらい、木に登って入るという手口がわかるとその木を切り倒してしまう。

高卒ルーキーには一人一人新聞を大声で読ませ時事問題を理解させ、習字をさせるなど野球バカにならぬよう指導。
合宿所の図書室には飛田穗洲選集全6巻があった。

草花を植えて育てるといった優しい面も。

退団した選手に会うと必ず‘武ちゃん’の思い出話が出たものだ。

 

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