巨人のドラフトを2度蹴った男

山本昌樹

1971年夏の甲子園予選中国大会の準決勝に進む。岡山4強の一角、岡山東商業と当たるが、8回まで2安打と抑え込み2-1と9回二死までリード。しかし、死球から崩れ惜しくも逆転負けを喫した。しかし、惜しくも甲子園出場を逃したが、中国地方屈指の速球が注目されジャイアンツから5位指名。しかし、これを拒否した。

卒業後は松下電器に入社。松下電器のラジオ事業部に配属。

都市対抗野球では、福間納に次ぐ2番手エースとして活躍し、同年のドラフト10位でまたもジャイアンツに指名されたが、またもこれを拒否した。同じ球団に二度も指名され二度とも拒否をした珍しいケースである。しかも、ジャイアンツだけにレアなケースである。

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