甲子園までの長い道のり
江川卓は小学生の時、静岡に住んでいた。江川少年は浜松の天竜川の対岸まで100メートルはある岸の向こうまで、毎日、石を投げていた。普通に投げても届かない「石を風に乗せないと届かない」と思い、石を風に乗せることを考えて投げていた。
小学生2,3年の頃は半分しか届かなかったが、5年生でやっと岸まで届くことが出来たという。石を風に乗せる投げ方を考えた事が、高校野球で生かされたという。
実は親父が、息子が天竜川の岸辺で石を投げるのを知って、こっそり投げやすい石を河原に集めていた。
高校2年生時の夏の大会で本領発揮。
高校2年生時の江川は、2回戦、3回戦、準決勝と3試合連続ノーヒットノーラン。(3回戦は完全試合)27イニングで無安打。47奪三振、奪三振率15.7と圧倒的な数字を残す。
準決勝も10回2死までノーヒットノーランだったが、サヨナラスクイズによって敗れた。
圧倒的なピッチングをするが、どうしても甲子園に行けなかった。
「ヒットを打たれてないのに負ける」と江川は塞ぎこんだ。そんな息子に親父は言った。
「バットに当てられるから駄目なんだと」
前に飛んだら何かが起きる、三振を取る事だけを考えてピッチングをしようと江川は思った。
3年生の春の選抜県予選大会。
初戦は5回までの15人に対して14奪三振。6回以降は後続の投手に譲って勝利。
この大会計4試合を投げ、29回、6安打、45奪三振を奪い優勝。
後の関東大会、準決勝の黒潮打線の銚子商業を1安打20奪三振、外野に飛んだのはわずかに2本だった。
決勝の横浜高校はバットを短く持ち、積極的にバットに当てに行く戦法を取ったが16三振、無四球完封を奪い念願の甲子園出場を決めた。
甲子園に初めて登場した、三年春の選抜大会。
第一日目の第一試合に登場。地元の優勝候補の北陽高校と対戦した。
注目の初回は強打の北陽打線を全く寄せ付けず圧倒。一番から三番打者まで全くバットに触れさせず三者三振。
23球目に、初めてファウルで拍手が起こった。
4番打者かすらせずに三振。5番打者有田修三(近鉄に入団)への23球目に、初めてファウル(バックネット1塁側へのファウル)になってス超満員のスタンドから大きな拍手が巻き起こった。初回から4回2死まで11打者連続奪三振を奪った。結局圧倒的な投球で19奪三振で完封勝利を飾った。
順々決勝の今治西戦では、7回2死まで一人のランナーも出ず14奪三振、ヒットを一本打たれたが外野に飛んだのはわずか2本だけ、6番から9番打者まではすべての打席全部三振に打ち取った。
準決勝の広島商業戦(達川光男在籍)では、8回を投げてポテンヒットと内野安打の2本だけだったが、バットを短く持ちベースよりに立って内角を投げ難くする事と、徹底した耐久戦法で惜しくも敗れた。
選抜高校野球大会における最多奪三振60、8連続奪三振、奪三振率14.0と今なお破られていない記録を樹立した。
参考文献
Wikipedia たがが江川されど江川