寮で桑田を見たことがない
春の選抜、準決勝で伊野商業に負けたことが転機になりました。
決勝戦の伊野商業の渡辺男を打てなかった清原は、寮で汗だくで素振り、そして桑田は、春の大会後、ボールを握りませんでした。この頃から、長年の、勤続疲労が出て球が投げられなくなったのです。しばらく、ボールを握るのをやめ、とにかく走りました。
早朝、6時半までランニングをして寮に戻って来る、そして、見当たらない時は、勉学室で勉強をしていました。
周りからは、「フォーク、スライダーもあるから投げればいいのに」
と勧められても、桑田は持論を守り続けました。
「ストレートとカーブだけで抑えてプロでエースになる」
そして球数を減らすピッチングを覚えました。
わざといい当たりをさせて、強いショートゴロを打たせ、併殺を取る。
甲子園のライトは浜風が吹き、ホームランにならないことを熟知し、わざとライトにフライを打たせる。
これが、最後の夏の優勝に繋がりました。
そして、モットーは常に、感謝の気持ちを持つ。
PLの教えは「感謝する気持ち、第一感を大事にする」教えを守っている。
この桑田真澄と清原和博は、高校野球激戦区の大阪から甲子園に出場可能な5回全てに出場し、そのうち4度決勝に進出し1年夏と3年夏の2回優勝という記録を清原とともに打ち立てました。
また、甲子園での通算奪三振記録も単独一位。次々と伝説を作っていきました。
「夏の甲子園の優勝投手はプロで大成しないと言われていましたが、桑田がプロで173勝の成績を残した為、このジンクスも桑田によって破られた形となりました。
そして、桑田はついに、高校時代の三年間はストレートとカーブのみで3年間通し、プロの世界に羽ばたいていきました。
意外に知られていませんが、打者としても優れており、甲子園通算ホームラン数も清原に次ぐ歴代2位の6本を放っています。