運命の池田高校戦
「桑田ありがとう、ここまで来たのはお前のおかげや」
「どうせ池田に負けるんや、でも、俺たちは大阪代表だから、10点取られたら恥や、9点迄まで、取られてもいいから」これで楽になったそうです。
「1回1点取られてもいいんだ。」
そしてこの試合の先制点は、ピッチャーの桑田が自ら、池田高校のエース、水野(現巨人投手コーチ)から
会心のホームラン。
筆者は、この時はテレビの生中継で観戦していましたが、打った瞬間でした。
極端なアッパースイングで、インコースの球を思いっきり引っ叩きました。
こうして、7対0で快勝しました。
カルチャーショックを受けたアメリカ遠征
この当時、PL学園の練習は朝9時から7時まで10時間行っていました。しかし、桑田はこの長い練習に疑問をもっていました。
それは、高校1年生で高校選抜に選ばれて、アメリカ選抜との試合の、経験から生まれました。
アメリカチームの練習は、チューインガムを噛み、ヘッドフォンで音楽を聴きながら楽しそうに歓談しながら行い、しかも、コカ・コーラがぶ飲みして練習していました。
そして、いざ、試合開始の30分前になっても、アメリカチームは来ませんでした。
「なんや、あいつらちっとも来ないやないか」と思ったそうです。
そして、やっと集まったかと思ったら、簡単にキャッチボールして、トスバッティングしてゲームに入りました。こんな野球があるんだな、としみじみ感じました。