桑田真澄~PL学園伝説③

運命の池田高校戦

「桑田ありがとう、ここまで来たのはお前のおかげや」

「どうせ池田に負けるんや、でも、俺たちは大阪代表だから、10点取られたら恥や、9点迄まで、取られてもいいから」これで楽になったそうです。

「1回1点取られてもいいんだ。」

そしてこの試合の先制点は、ピッチャーの桑田が自ら、池田高校のエース、水野(現巨人投手コーチ)から

会心のホームラン。

筆者は、この時はテレビの生中継で観戦していましたが、打った瞬間でした。

極端なアッパースイングで、インコースの球を思いっきり引っ叩きました。

こうして、7対0で快勝しました。

カルチャーショックを受けたアメリカ遠征

この当時、PL学園の練習は朝9時から7時まで10時間行っていました。しかし、桑田はこの長い練習に疑問をもっていました。

それは、高校1年生で高校選抜に選ばれて、アメリカ選抜との試合の、経験から生まれました。

アメリカチームの練習は、チューインガムを噛み、ヘッドフォンで音楽を聴きながら楽しそうに歓談しながら行い、しかも、コカ・コーラがぶ飲みして練習していました。

そして、いざ、試合開始の30分前になっても、アメリカチームは来ませんでした。

「なんや、あいつらちっとも来ないやないか」と思ったそうです。

そして、やっと集まったかと思ったら、簡単にキャッチボールして、トスバッティングしてゲームに入りました。こんな野球があるんだな、としみじみ感じました。

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