1975年9月10日 広島カープ対中日ドラゴンズとの一戦。
この日、広島市民球場には、初優勝を目指し、地元カープファンが熱くなった日として、後年、記憶されることになる。
広島カープは、2位阪神に1ゲーム差、そして2位中日に2ゲーム差の3位につけていた。
この日の先発は、熱い男、星野仙一。この日先発の星野は、相手打者の大下剛史、水谷実夫に死球を与えても、悪ぶれた素振りをみせずに、快投。そして自らホームランを放ち、8回まで完投ペース。
ところが、粘る広島は、3点差の9回に2点を返し、2死2塁に三村敏之を置いて、ここでバッターは主砲、山本浩二を向かえる。
この年、山本浩二はチャンスに滅法強かったと記憶している。
当時、小学校3年生だった筆者は、地元名古屋のローカル放送でドラゴンズを応援していました。そして、やな予感が的中した。
案の定、山本はセンター前にクリーンヒット。2塁ランナーの三村がホームに激走。
しかし、センターのローンは強肩で、ホームへ矢のような送球がキャッチャー新宅のミットに吸い込まれた。タイミングは完全にアウトだった。しかし、キャッチャーの新宅のタッチが走り込んできた三村の膝に入り、そのまま、前のめりに倒れ込んだ。
その瞬間、いつも穏やかな三村がキレた。新宅に体当たり、そして両軍入り乱れての乱闘となった。広島ファンは三村に愛着があり、どんな選手よりも大事な選手だった。その選手がやられたとあって、広島ファンがグランドになだれ込んできた。
大島康徳が左目を腫らし、森下コーチは蹴とばされ、星野も酒をかけられた。機動隊も2000人出動したと伝えられる。
余談だが、このグランドになだれ込んできたファンの1人に、風見慎吾がいた。
この時、何と、星野に砂を掛けたのだ。この件は雑誌にも取り上げられ、数年後、バラエティー番組でも話していました。
そしてこの時、なんといっても、忘れられないのは、広島の両外国人、ホプキンスとシェーンの存在だった。
出典 Wikipedia Public domain リッチー・シェーン
この騒動の中、中日ベンチの前に立ちふさがり、ドラゴンズの選手達を守ったのだ。この美談は残念ながら、当時は報道されなかった。
その翌日は、警備の問題で試合が中止となった。
ちなみに、ホプキンスは広島入団当時から、医師の勉強を続けおり、アメリカに帰国後は、希望通り医師となった。
そして、シェーンは残念ながら2021年5月20日なくなりました。