生涯1打席だけ立って1安打をは放ち10割の選手は過去多数あり。
その中でもジョン・パチョレック(大洋、阪神で活躍した、ジム・パチョレックの長兄)は1963年にヒューストン・コルト45,s(現アストロズ)で1試合にい出 “生涯打率10割で最多安打の選手” の続きを読む
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生涯1打席だけ立って1安打をは放ち10割の選手は過去多数あり。
その中でもジョン・パチョレック(大洋、阪神で活躍した、ジム・パチョレックの長兄)は1963年にヒューストン・コルト45,s(現アストロズ)で1試合にい出 “生涯打率10割で最多安打の選手” の続きを読む
広島対巨人戦での出来事。
4回の表、レフト前ヒットで出塁した長嶋は、次打者国松彰の時にヒットエンドランがかかり、スタートを切っていました。
しかし、打球は平凡なレフトフライとなりましたが…。
足に自信のある長嶋はこの時2塁を廻って三塁の手前まで来ていたのです。左翼手の大和田が捕球したのを見届けてからあわてて、脱兎のごとく一塁に帰塁しました。
しかし、この時、1塁に戻るには2塁ベースを踏まなければならないのです。長嶋はうっかり二塁ベースを踏まずに一塁に戻ってしまったのです。
捕手の田中尊捕手はマウンドの大石清投手に走り寄りセカンドに送球するように指示をしまいた。2塁ベースに入っていた古葉竹識にボールが渡り、走者の長嶋がアウトとなりました。
生涯3度のミスター
「慌てちゃってね」と反省する長嶋でしたが、39年5月21日の中日戦での、王貞治のレフトフライ、43年の5月16日の大洋戦での森昌彦のセンターフライ、と懲りることなく、3度も同じミスをおかしているのです。
さすがはミスタープロ野球。長嶋伝説は永遠に語り継がれる事でしょう。
参考文献 日刊スポーツ B級ニュース
2人の関係を象徴するシーンがある。
1979年、「地獄の伊東キャンプ」と呼ばれる秋季特別練習を行なったブルペンで、江川と西本が並んで投げることになった。
西本が述懐する。 “江川と西本のライバル魂” の続きを読む
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当時の近鉄の西本監督は、「山口の高めのストレートは振るな」と指示を出した、にもかかわらず、手を出し空振りした羽田をベンチで殴りつけた。しかし実際、羽田選手は、先頭バッターでベンチを出ており、 “闘将 西本幸雄監督” の続きを読む