それは、昭和58年5月25日の甲子園でのタイガース戦での出来事。
この日まで3連敗の中日の近藤監督は先発のマウンドに高橋三千丈を送りました。
この後、この試合がプロ野球唯一の珍しい記録になるとは誰も思ってなかったでしょう。
高橋はルーキーイヤーに5勝を挙げましたが、2年後に右わき下血行障害を患い、右の太もものえ静脈を15センチ切って幹部に移植する大手術をしました。この日高橋は実に3年ぶりの登板だったのです。
久しぶりの登板でやや緊張の面持ちでしたが、初回はセンターフライが2つ、外国人のストローターにセンター前にヒットを打たれました4番の掛布をキャッチャーフライに打ち取りました。
2回も内野フライ2つとレフトフライ。
4回は四球を与えましたが、内野フライ、外野フライ2つ。
代打バース登場
5回、センターフライ、笠間にレフト前にヒットを打たれましたが、代打バースを三塁フライ。
平田をショートフライ。
ゴロがないことに気づく
このあたりから、阪神ベンチも「ゴロがないことに気づいた」溝脇コーチも上から叩けと支持を出しました。
ところが、6回も2者連続三振。掛布はセカンドフライ。
7回も3人が内野フライに倒れ、依然補殺は0のまま回は進む。
高橋も回が進むごとに調子を上げ、球威も増して、阪神打線もボールの下を叩き凡フライを打ち上げる。
8回、投手前の内野安打で出塁したが、バース三振、平田がライトフライ、代打川藤がライトフライで倒れ、3塁さえも踏ませない見事なピッチング。
そして9回、簡単に2者を外野フライに打ち取り、最後のバッターをライトフライに打ち取りました。
3つのゴロはいずれもヒットとなった。
ここに、史上初の補殺0の完封勝利という快挙を達成しました。
しかも、打たれた三本のヒットは、いずれも内野の間を抜きゴロのヒットになったのは皮肉です。
試合後、高橋は「本当に嬉しい、これでやっと一区切りつきました、とにかく一つでもいいから勝ちたかった」と語っています。
そして、血行障害の影響で、結局この試合が現役最後の勝利となってしまいました。
病魔により、不運にも選手生命を絶たれてしまった、高橋選手に神様が授けてくれた大記録だと思います。