審判員 田仲俊幸
落合の凄さ
試合前の打撃練習での出来事。打撃投手のゆるい球を打って調整していた落合が、この球を10球打って何球スタンドに入る?と聞いてきた。せいぜい4~5本だな。と言ったら8本だな、と言って打ち始め、軽くスタンドまで8本打ち込んだ。
完全試合を達成した試合の最後は、落合がベンチの前まで追って体制を崩しながら、捕球したが、もし落としていたら準完全試合になる所だった。しかし落合程の選手でもそのことは知らなかった。
星野監督
97年4月20日の長良川球場での出来事。
中村武志のレフトへの飛球をホームランと判定したが、広島からの抗議を受けて協議し、2塁塁審の谷の意見でファウルに判定を変えた。星野さんから猛烈な抗議を予想していたが、「部長、ジャッジを変える勇気をかうよ」と逆に激励された。
98年8月25日の巨人―中日戦の事。
長嶋監督が河野がブルペンで投球練習をしているにもかかわらず、河野と小野を間違えてコールした時の事。「ピッチャー小野」と審判にコールしてしまい、場内アナウンスも流れてしまった。ルールでは最低一人は投げなくてはならない。慌てて長嶋監督が違うよ河野だよ。と言われてもどうにもならない。相手は星野監督だ、ひと悶着あるに決まっている。そしたら、星野監督が「ミスターが間違った」と大笑い。審判が了解を取りに行くとすんなりオッケーを出した。
水野雄仁と橋本清を抑えで併用していた時も水野が投球練習しているにもかかわらず、「ピッチャー水野」と告げる事が多く、コールされてからピッチング練習をする事が何度もあったと言う。
東京ドームで巨人の選手が身体に打球が当たったか当たらないか、微妙な所で打球がフェアゾーンに行き、アウトを宣告した時の事、走って出てきて抗議した長嶋監督は、「いいですよ、そういうふうに、パット判定する事はいいことです」と言ってベンチに戻って行った。再開のプレーを宣告して後、またベンチを出てきて「さっきのはいい判定でした、今みたいにパットやる事はいいことです」と言ってわざわざ褒めてくれた。
古田のキャッチングはすごい
ミットを下から前上に突き出す様にして捕球し、しかも自然にパッパッと捕る。ストライクゾーンを通った様に捕球してしまう。
中村武志は巻き込む様に捕る。山本昌とのコンビは抜群で大きなカーブを上からミットを上げて捕るのだが、上から見ていると地面すれすれのボールでも、投球の残像とミットの位置でストライクに見えてしまう。
達川は内角の際どい球を、バチーンと聞かせて捕る。ボールとコールすると「なんでぇ」と語尾を上げて言って来る。審判にプレッシャーをかけてる。「判定ミスばかりで今日は調子が悪いのう」
「今日は見えとるのう、調子がいいのう」と話しかけてくる。そう言われるとこちらも気分がいいもんだ。達川の術中にハマってしまう。
ストライク、ボールの判定で難しかったのは、川口和久。いつストライクが入るかわからない。北別府も、投げるテンポがまちまちでしかも、コースぎりぎりにくるから、判定の難しい投手だった。
実は王さんのホームランは一本少なかった。
神宮球場でのある試合でライトの線審、田中俊幸が王さんのライトへの飛球を金網に当たる「ガチャン」という音で2塁打と宣告したが、残念そうな王さんが試合後に、その打球のボールを見せ、青い塗料が付いてる、ボールを見せに来た。「広告板の文字の色です」「参考にしてください」と置いて帰っていった。
明くる日、外野でその看板を確かめた。丁度、子供が腰掛けていて足をぶらぶらさせていた。その足が看板に触れると、「ガチャン」という音がした。
田仲俊幸 下野関商業から59年に南海に入団。2年間ファームに在籍しわずか2勝。
65年に審判となり、97年に審判部長に就任。03年に退職し、38年間の審判生活に別れを告げる。
参考文献 田中俊幸『プロ野球 審判だからわかること』草思社、2004年