星稜対簑島の伝説の試合をラジオで聴いた想い出
5年ほど前に、夏の甲子園大会の高校野球を見ていたら、場内アナウンスで塁審、堅田と聞き、スコアボードを見るとやはり「堅田」と出ていました。
まさかと思い、インターネットで調べると私の予感は当たりました。
そう、あの、延長18回星稜対簑島の試合で先発登板した、左ピッチャーの堅田でした。
私は、あの時、1978年は中学生でした。
ちょうど、偶然にもこの舞台に出場している北陸に海水浴に行ったその帰り道、車の中でNHKラジオ放送の中継を聴いていました。今では信じられませんが、当時のNHK第一放送は解説者無しでアナウンサーのみで実況をしていましたが、この試合には解説者がいました。もし、アナウンサーだけだったら、長丁場でさぞかし大変だった事でしょう。
最初は、何気なく聴いていましたが、0-0のまま、延長に入ると興味が湧いてきました。息詰まる投手戦でこの先どうなる?
当時はまだ、交通網が貧弱で北陸自動車道がなく、敦賀から米原間は渋滞でノロノロ運転でした。
もうすっかり日が暮れて、対向車線のヘッドライトが灯り、甲子園も照明搭が照らされ、高校野球では珍しいナイター中継となりました。
僕らも、家族4人の車中で聞くラジオ中継の高校野球は、僕にとって珍しく、新鮮でなぜかウキウキして聴いていました。
延長12回の表に星稜が1点を取るも、その裏、まさかの嶋田の同点ホームラン。
延長16回の表も、星稜がタイムリーヒットで1点をもぎ取り、その裏の簑島の攻撃も2死となり、雰囲気的にも試合終了が濃厚になってきました。
そして、1塁へのファウルフライ、これで試合終了と誰もが思いました。
が、しかし…。
運命のいたずらとしか言いようがありません、まさかの1塁手が転倒し落球。
息を吹き返した、打者森川がレフトへ再び同点ホームランを放ちました。
「奇跡としかいいよう言うがありません」と実況が語りました。
再び同点となりました。
そして、18回の裏、簑島の最後の攻撃でチャンスを迎えました。
その頃、我が自家用車、日産スカイラインは濃尾大橋を渡り、愛知県の自宅の目前まで来ていました。僕は最後の場面はどうしてもテレビで見たかったのです。
私が車を降りて、慌てて鍵を開け、テレビをつけた瞬間!
走者が、ヘッドスライディングで生還した場面が映し出されていました。
簑島が劇的なサヨナラ勝ちを収めた瞬間でした。