ラバー設置のきっかけとなった佐野仙好

2021年9月23日、バンテリンドームでのドラゴンズ対阪神戦。最終回にドラマ、いや、珍しいアクシデント?がありました。

ドラゴンズは1点を追う9回の裏、1死1塁、3塁の同点、もしくは逆転サヨナラのチャンス。ここで、取って置きの代打福留孝介を起用。タイガースの守護神、スアレスのチェンジアップを振り抜くと、左翼手の頭上を越えて、フェンスを直撃。3塁ランナーがホームイン、1塁ランナーも帰り、今季初のサヨナラかと思いきや、なぜか打球が跳ね返らず、なんと!ラバーの間にスッポリ挟まるアクシデント。ルールではエンタイトルツーベスになり、1塁ランナーは3塁に返され、同点止まりとなりました。

このフェンスラバー、選手がフェンスを恐れず、思い切ったプレーが出来、たとえ激突しても選手の体を守ってくれます。今では当たり前ですが、このラバーを設置するきっかけとなったプレーがありました。

1977年4月29日、川崎球場での大洋対阪神戦での出来事。                 当時は、外野フェンスがコンクリート製の球場が、川崎球場以外でも数多くありました。     

ラバー設置のきっかけになった生死をかけたプレー

今からもう、50年も前の出来事です。                         阪神が1点リードした9回の裏、大洋の清水透が放った左翼後方への打球を、佐野仙好が、フェンスに激突してしながら好捕。しかし、頭をフェンスに強く打ちつけ、顔面蒼白で、口から泡を吹き失神。

この間に、1塁ランナーが1塁からタッチアップをしてホームまで帰り、同点となりました。本来なら、センターを守っていた池辺巌が佐野選手からボールを譲り受け内野手に返球をしなくてはなりませんでしたが、人命を優先する程、危険な状態でした。タイムも掛けておらずに担架も要請された為に、インプレーとみなされ無情の同点となりました。          その後、グランド内に救急車が到着し、担架で病院へ直行。頭蓋骨陥没の重傷と診断されました。

失策と記録される?

当時のルールによると、佐野選手の捕球で刺殺が記録され、送球をしなかったことでなんと、失策が記録されました。                               その後、野選を伴った犠牲フライと訂正されました。

佐野は結局、2カ月で戦列に復帰。規定打席には足りませんでしたが、打率305と立派な成績を残しました。

ちなみに、1塁ランナーが犠飛でホームインしたケースは他になく、日本プロ野球史上、唯一の記録になっています。

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