指名打者制度誕生秘話

1973年に4月6日にボストンで行われたレッドソックス対ヤンキースの開幕戦で、ついに歴史的ルールが制定。ヤンキースの強打者ロン・ブロンバーグが史上初の指名打者が誕生しました。

歴史に残る初打席は、なんと、2死満塁の場面でやってきました。

そして、結果はまさかの押し出しファボール。

3回の表に指名打者として、MLB史上初のヒットを放ちましたが、後続が倒れて無得点。しかし、ロン・ブロンバーグは攻撃が終了したにもかかわらず、ベンチに戻ろうとはしませんでした。いつもの癖で、そのまま、1塁手の守備に就こうとしたのです。

かつてのアメリカンリーグは、名門ヤンキースのおかげで、人気実力ともにナ・リーグを上回っていました。ところが、1964年以降、ヤンキースの衰退とともに、リーグ全体の人気も低下しまいました。

指名打者導入の背景

1972年のアメリカンリーグは極度の投高打低でした。投手戦ばかりで、人気が低下。ナ・リーグに比べて観客動員が200万人も少なく、12球団中8球団が赤字経営でした。人気回復の挽回対策の為、オークランド・アスレチックスのオーナーのチャーリー・O・フィンリーが提案しました。

物オーナーの提案

投手の代わりに1試合を通して打席に立つ指名打者、略してDH制度が導入されました。1973年に4月6日にボストンで行われたレッドソックス対ヤンキースの開幕戦で、ヤンキースの強打者ロン・ブロンバーグが指名打者としてスターティングラインナップに名前を連ねました。

当初このDH制度は3年間の期限付きで行われてきましたが、今やア・リーグからリトルリーグに至るまで各レベルで普及しています。

この合理的なシステムの導入によって、何人かのメジャーリーガー達は選手寿命が延びて野球殿堂入りになる様な選手を輩出してきました。守備に不安のある強打の選手、ロイヤルズのジョージ・ブレッドやデーブ・ウィンフールド、エドガー・マルチネスはもしDH制度がなかったら通算3000本安打を達成することはなかったでしょう。

更に投手は、スライディングや、ねん挫、怪我のリスクがなくなり、ピッチングに専念できるようになりました。そして、途中で代打を出されゲームを退かなければならないケースがなくなり、勝利数が多くなりました。

そしてついに今年からナショナルリーグでも採用

ア・リーグよりも先に誕生したナ・リーグは伝統を守り古き良き伝統を守っていました。

しかし、ついに2022年からDH制度を導入する事となりました。

メジャーリーグの歴史を変える大きな転機となるでしょう。何人かのメジャーリーグの選手達の選手寿命が延び、更に、ゲーム展開がより攻撃的になりエキサイティングな試合が増える事でしょう。

そしてこのルールの恩恵を一番受けるのが大谷翔平。

打席数が増える為、昨年涙を呑んだ本塁打王の可能性が出てきました。

更に大谷ルールが誕生

DH制度に加え、独自のルールが制定となりました。投手としてDHとして打席に入ったら降板後も、ベンチに下がらずにそのまま試合に出場できるという。通称大谷ルールが誕生しました。この独自のルールにより、いっそう大谷の打撃が有利になってきます。

日本のセ・リーグの導入は?

一昨年の日本シリーズでジャイアンツが2019年にソフトバンクからストレートで敗れた時に、ジャイアンツの原監督から、セ・リーグでのDH制度導入の提案が出ました。その背景には2012年から8年連続でパ・リーグのチームが日本一になっているからです。

もし、セ・リーグにDH制度が出来たらどうでしょう?巨大戦力がベンチに残っている、ジャイアンツが恩恵を受けるのが目に見えています。

本来の野球のあるべき姿

しかし、アトランタ・ブレーブスを率いて殿堂入りした名監督ボビー・コックスは「野球を汚した行為」と発言しています。

野球のあるべき姿を提唱するセ・リーグの考えも理解できます。

なんでもメジャーリーグの真似をすればいいのでしょうか?野球とは、投げて、打って、守るスポーツ。日本の野球は高校野球が底辺にあり、メジャーとは違う環境にあるのです。

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