サードの守備が一番上手かったのは誰か?

何と言ってもミスター長嶋茂雄の名前が出てきます。

同期で入団した関西大学出の三塁手、難波昭二郎が「長嶋のあと、守備についたら地面が全くあれてないことに気づいた」と言う。よく見たら2,3メートル後ろのところが荒れている、つまりずいぶん深く守っていたのです。

若い頃は、抜群に動きがよく、華麗だったと杉下茂も語っています。同じ中日の江藤省三も「晩年は動きも鈍くなったが、グラブさばきはホレボレする程だった」とか。「スローイングもフットワークもすべて絵になった」とは、関本四十四。

タイガースの黄金期

阪神の三宅秀史は、長嶋茂雄と同年代で、よく比較されましたが、強肩では三宅の方が上かも。甲子園の二塁付近から、ネット裏の銀傘の上へボールを投げ上げるのは三宅だけだったと言います。選手生活が短かったのが残念です。

吉田義男との三遊間、セカンド鎌田実との内野陣は黄金の内野陣とうたわれ、黄金期を作りました。

大型三塁手の誕生

ロッテの有藤道世も186cmの長身ながら、体が柔らかく大型特有の不格好さがありませんでした。「プレーがとても綺麗で、捕ってから投げるまでの流れるような体の使い方が印象的だった」と、蓑田浩二氏。この有藤から大型三塁手が出現することになります。

華の三塁手時代

その中でも、地味ですが中日の島谷金二の守備が好きでした。

長嶋の影響からか、どうしても三塁手には華のある選手が定着し、原辰徳、掛布雅之、等が目立ちました。掛布は、前に来る打球に対しての反応がよく、素早く、そして強肩でした。そして若い頃の原辰徳は、ジャンピングスローに長けていました。しかし、この年代ではヤクルトの角富士夫が上手かった印象があります。

パリーグでは西武ショートからコンバートされた石毛宏典、そしてロッテの水上善雄選手が挙げられます。

This is プロ野球

あの伝説のゲーム1988年10月19日(俗に10.19と呼ばれています)ロッテ対近鉄戦の三塁線の打球を、飛び込んでキャッチして起き上がって1塁で刺したプレーは歴史に残るファインプレーです。思わず実況アナウンサーが「ティス、イズ、プロ野球」と叫びました。

このプレーが無かったら、近鉄はこの最終戦で優勝していました。

その近鉄からは、中村紀洋。グラブさばきは天下一品。送球にも正確性があり、三塁線の処理、緩い打球への反応が見事でした。

意外かもしれませんが、落合博満が中日時代に移籍当初サードを守っていましたが、堅実で、特に送球が安定していて、大きなミスがありませんでした。

メジャー級の強肩三塁手

そして現代では、オリックスの宗佑磨選手。近年にない強肩の三塁手が誕生しました。

元々、外野手でしたが、出場機会を増やすと言う理由で、中島監督がコンバートをさせました。彼の強肩は一人だけ別世界。誰よりも深く守り、スナップスローも得意。

何と言っても、どんな体制からも送球が出来る器用さ。歴代の三塁手に肩を並べるだけのポテンシャルを持っています。

ショートの紅林と共に、黄金三遊間コンビでオリックスを牽引し、来年は日本一目指して欲しい。

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