一人で三重殺を完成させた唯一の選手

野球において、滅多にお目にかかれない大記録がいくつかあります。

完全試合、ノーヒットノーラン、9者連続三振、三者連続ホームラン、などありますが、日本プロ野球史上で、唯一1度しか記録されていないものが2つあります。

1つは、71年5月8日東映がロッテ相手に記録した5者連続ホームラン。

そしてもう一つは、67年7月30日阪急の住友平が記録した一人三重殺です。

この二つの記録は、偶然にも同じ「東京スタジアム」で起こった出来事で因縁を感じます。

一人三重殺

一人三重殺とは、文字通り、他の誰の手も借りず、一人でトリプルプレーを完成させることです。丁度、同じこの日に、大阪球場で行われた近鉄対南海戦で小玉明利三塁手が、三塁ライナーをキャッチして、飛び出した三塁ランナーにタッチをして、一人でダブルプレーを完成させていました。

いったいどうやって一人でトリプルプレーを完成させたのでしょう。

ダブルヘッダー第一試合

この日、東京スタジアムは東京ユニオンズ対阪急ブレーブスのダブルヘッダーが組まれていました。その第一試合での出来事です。

東京は先頭の前田益穂が、セカンドを守る住友平のエラーで出塁すると、次打者篠原良昭が四球を選んで、ノーアウト1、2塁のチャンスを向かえました、ここで8番バッターの大塚弥寿男が入りました。ここは当然、バントのケース。

2度のバントがファウルになり、カウントが並行カウントの2-2となりと、東京は強行策に出て、ヒットエンドランを敢行。1塁走者の前田、2塁走者の篠原は一斉にスタート。

すると、大塚の打球はセカンド付近にフライが上がりました。先程エラーをした、セカンドの住友が前進してキャッチすると、そのままの勢いでセカンドベースを踏みました。

そこに1塁走者の和田が走ってきてそのままタッチ。あっという間にトリプルプレーを完成させてしまったのです。いや、なってしまった、ほどの一瞬の出来事でした。

今一度、思い出して整理すると

打者がセカンドフライを打ち上げてキャッチして1アウト。

セカンドベースを踏んで、2塁走者が帰塁できず、この時点で2アウト。

そこへ走り込んできた、1塁走者にタッチをして3アウト。

このように記述すれば分かりやすいのですが、ほんの2、3秒のうちの出来事なので周囲の反応も鈍かったようです。

ちなみにこの試合は、東京が8回の裏に、3番榎本喜八が逆転ツーランホームランを放ち東京が勝利しました。

阪急が負けたこともあったのか、一人三重殺のプレーについて、当時は取り上げる新聞各社も少なく、この記録は周知されませんでした。あまりにも簡単に終わってしまったプレーだった為、でしょうか。

しかし、この記録は現在も並ぶものがおらず、唯一無双の記録として残っています。

参考文献 週刊ベースボール 2001年 1月1日号

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