昭和40年代から50年代にかけて、活躍した選手がみんな、口を揃えて言うのが、この山口です。幾度と対戦している門田、チームメイトである山田久志氏も認めている。特に、高めのつり球で空振りを多く、とっていたイメージがある。
「高志は9回から速くなるからびっくりするよ」と言い、8割以上がストレートだった為に野村克也から『オマエ、データなんて見たことないやろ。ええな』と言われたこともあった。ストレートしか来ないとわかっていても打てなかった。
高田繁、山本浩二も同じ意見
当時、江夏豊と対戦した高田繁、が、明らかに、山口の方が速い。日本シリーズで対戦した、山本浩二も同じように話している。
当時のキャッチャーの川村建一郎は「球を捕るのを初めて怖いと思った」と語っています。
審判の村田康一は「山口が球速No.1」だと断言している
まさに電光石火で散った直球王か?
時々地面に突き指する程の豪快な投球フォームで、常に全力投球の投球スタイル。
4年間で身体をすべて使い果たした。
昭和50年の日本シリーズ。8回に登場する。夕方の西宮球場は夕方になると、1塁側の照明塔の影がグランドにかかる、しかも、マウンドとホームの真ん中にのびる。これで、丁度、バッターボックスの手前から、影のコントラストができボールが見づらくなる。当時の上田利治監督はそのタイミングで山口を投入した。このシリーズ山口は、大車輪の活躍でMVPを獲得した。
強烈な伸びをみせる山口の直球は高めに来ると、必ずと言っていい程、浮き上がったボールになる。打者は、ストライクに見え、空振りしてしまう。
有名なエピソード
当時の近鉄の西本監督は、「山口の高めのストレートは振るな」と指示を出した、にもかかわらず、手を出し空振りした羽田をベンチで殴りつけた。しかし実際、羽田選手は、先頭バッターでベンチを出ており、この指示を聞いていない。西本監督は後でこれに気づき、気まずかったと言う。
そのくらい、打倒、山口に対して熱くなっていた、というエピソード。
関西大学の2年の時の大学選手権では、準決勝の法大戦で延長20回を完投するというに人間離れしたピッチングをみせた。しかも最後なで球威が衰えなかったと言う。
パンチ佐藤氏の証言、「山口さんの指導は単純明快であった、困ったときは真っ直ぐやろ、こればっかりでした」当人は真っ直ぐしか投げないのだから。変化球といえば、ちょっと曲がるカーブだけ、時々、指のかかり具合でカットボール気味になった。