江川と掛布の怒りの敬遠

読売ジャイアンツ捕手の阿部慎之助の父親は掛布の習志野高時代の同級生で、同じく野球部に所属していた。高校時代は阿部の父親が4番を打っており、掛布は3番打者だった。今でも阿部の父親とは深い親交があり、阿部が子どもの頃から掛布に憧れていたのはこの縁に由来する。

千葉育ちもあってか、千葉出身の長嶋茂雄のことを敬愛している。デビューした年の5月21日の巨人戦でプロ入り初安打を記録したとき、掛布は三塁を狙ったが長嶋にタッチアウトされた。しかし、「憧れの長嶋」にタッチされたことがうれしくてたまらなかったという。

ある時、スランプに陥っていた掛布は長嶋に電話でアドバイスを求めた。するとミスター曰く「そこにバットある?あったら振ってみて」。首をかしげながら掛布は素振りの音を電話越しにミスターに聞かせた。音を聞いたミスターは「雑念を取り払え、無心で振れ!」と言う。今度は無心でバットを振り、音を聞かせる。すると「そうだ、いまのスイングだ。忘れるな!」と言い、電話は終わった。その後掛布はスランプを脱したという。

プロ入り後、江川は掛布に対する初球は必ずカーブを投げた。しかし、掛布はそれを見送り、ストレートを待って勝負したという。また、掛布によると一度江川が自分を敬遠したときにはその球が異常に早く、「本当は勝負したい」という意思を感じたという。

82年9月甲子園、1点のビハインド、2アウト走者2塁、藤田監督から 敬遠を命じられた江川は立ち上がった捕手のミットめがけて、快速球を投げた。掛布・江川が今語る、まるで怒りを吐き出すようなその敬遠快速球に込められていた。

月に向って打て

大杉 勝男

荒い打撃と三振が目立ち、本塁打は出るものの低打率に苦しむ。転機となったのは1968年9月6日のオリオンズ戦、第4打席まで無安打と結果を残せないまま試合は1対1のまま延長戦に突入し、延長11回裏に打席が回ってきた。

東映の打撃コーチだった飯島滋弥は大杉に、「月に向かって打て!」というアド “月に向って打て” の続きを読む

名スカウト片岡宏雄

ヤクルトスワローズの編成部調査役。

引退後、ドラフト会議を題材にしたコラムを産経新聞に掲載したのが評判を呼び、その後ヤクルトスワローズのスカウトとなる。

古田敦也、土橋勝正、高津臣吾を発掘し、日本一の球団となる。特に、古田のドラフト指名の裏話、尾花高夫に会いに行く時に高野山の麓の山の上ある実家まで出かけて、交わした言葉のやりとり

新日鉄堺の監督が「練習が好きすぎて困っとるんや」という、エピソード。

度会博文は草野球をプレーしていた時ににつけてドラフトで取った、地味な選手が出てくる。しかし、良かったのは、ヤクルトいう球団の体質、ほのぼのした球団の環境。、また、

関根、若松監督といったほのぼのとした監督のしたでプレーした事。やはり、球団を強くするには、球団の環境、入団した選手は育てる環境、コーチ、監督が大事だということがわかる本です。

球が指先にひかからないピッチャーはあ駄目。ピッという音がする。

肘が柔らかく指先の使い方で見抜く。

バッターは球のつきで見抜く。いろんな球を投げるピッチャーのタイミングを上手くとっていく事。

息をはずませながらやってきて、「尾花、俺はどうしても君が欲しいんだ」

意外にも、著者が入団したのは中日ドラゴンズだったのには驚きです。

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