創世記ではやはり川上哲治の名前が浮かびます。
川上哲治の後釜に王貞治が君臨し、巨人はこの2人だけで約40年も守り通したのです。この川上の時代の1塁手の控えに内海哲也の祖父がいました。内海五十雄さん。背番号は26番でこの背番号は、内海哲也が巨人入団した時に継承しました。
南海の飯田徳治も、守備範囲が広く、野手の難しい送球を難なく処理し、南海の守備陣を何度も助けました。
王貞治のオールスターでの好プレー
王貞治はホームランの記録を樹立し、打撃のイメージがありますが、守備も上手く、ゴールデングラブ賞を9回受賞しました。
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私が小学生の時に、オールスター戦で、ランナー2塁の場面で1塁ゴロを王さんが、打球を掴むと素早い送球で3塁に送球し、2塁勝者をベース手前で刺した記憶があります。
大洋の松原誠も、強打者でしたが守備に定評があり、捕球技術に特徴がありました。足を大きく広げて、ギリギリまで延ばしてベースに着いていました。日本ハムの柏原もそうですが、昔の人は、内股が土に着くくらい足を延ばしていました。
強打者は守備が上手かった
史上最高の助っ人、ランディバースが、西武との日本シリーズ第三戦でみせた、三塁への送球時のバント処理は日本シリーズの流れを変えました。
他にも、80年代ではジャイアンツの駒田徳広が一番。軟体動物のような柔らかく体を使い、キャッチングも上手い。落合博満の1塁守備も堅実で、併殺時の振り向きざまに投げる、2塁への送球が上手かった印象があります。
あの、1994年10月8日の中日巨人の最終決戦では、落合が内股を負傷してまで捕球し、処理したプレーも感動を呼びました。
ホセ・ロペスは日本記録を樹立
近年ではヤクルトスワローズの強打者ペタジー二も、守備が上手いイメージがありませんが、エラーが少なく3年連続ゴールデングラブ賞を受賞しています。
そして何と言っても、この時代の名手と言えば、横浜ベイスターズのホセ・ロペス。
元々、メジャーではイチローと一緒にマリナーズに在籍。その当時は2塁手でしたが、当時は守備の評価は低く、1塁手になってから、守備の評価が上がった珍しい選手です。
実際に、ゴールデングラブ賞を5度受賞し、2017年から2019に掛けて、163守備機会連続無失策という、気の遠くなる日本記録を樹立しました。
近年1塁手は外国人ばかり
そして現代は、ドラゴンズのビシエド。彼も、メジャーのホワイトソックス時代は外野手でしたが、守備は評価されていませんでした。ロペスのように、日本で守備が上手くなった代表的な選手です。
最近のプロ野球では、外国人が1塁手を独占していますが、全盛期の中田翔みたいに、日本人で1塁を守り、ゴールデングラブ賞を受賞するようなスラッガーの出現を願っています。