連続試合本塁打記録

初の三冠王中島治康

日本プロ野球での連続試合ホームランの記録は、長らく5試合連続が最高でした。

第1号は1938年(昭和13年)に巨人のが作りました。この記録が発見されたのは34年が経過した1972年。それは奇しくも巨人の王貞治が7試合連続ホームランを記録した年でした。中島はこの年、1リーグ時代唯一の猛打爆発で、同年秋のシーズンに三冠王に輝いています。

4試合連続が12回の王貞治

1964年に55本塁打のシーズン最多本塁打の新記録を作った王貞治ですが、連続試合アーチは苦労しました。70年に初めて当時の本塁打タイ記録となる5試合連続本塁打を樹立しましたが、それまでなんと12回も4試合連続止まりでした。その壁を破った2年後の72年は、前年後半からの大スランプ(71年はそれまでの8年間連続3割、40本塁打がストップ)に苦しんでいました。

史上最高の打者

記録がスタートしたのはシーズンも深まった9月11日の広島戦、宮本洋二郎から第4打席でホームランを放つと、阪神戦で左腕山本和行から第1打席でフルカウントからライトスタンドへ放ち新記録。余勢を駆って翌日には、阪神のプレーイングマネージャー、村山実から第1打席でホームランを放って7試合まで伸ばしました。残念ながら翌日で記録はストップしましたが、7試合中10四球と警戒されながら記録を達成しただけに、その価値はあります。そして、この大記録が1972年、翌年73年の連続三冠王に結びつきました。この頃の王は全盛期で史上最高の打者と言っても過言ではありません。

この記録を塗り替えたのも三冠王

そしてこの記録が破られたのは1986年。阪神の史上最高の助っ人ランディ・バース。このバースもまた、2年連続三冠王のタイトルを引っ提げての記録でした。

6月18日のヤクルト戦でスタートした記録は25日、ジャイアンツの桑田真澄からホームランを打って6試合連続となりました。翌日の26日の先発は江川卓。4打席まで、シングルヒット2本。延長戦がなければ最終打席になる8回裏。歩かせてもおかしくない状況でしたが、江川は真っ向勝負に挑みました。1-0からインコース高めのストレーとを会心のスイングで捉えた打球は5万人の超満員の後楽園球場のライトスタンド場外に消えました。小雨のふる大歓声の中、悠々と1周を回るバース。通算202本の中で最も豪快で、美しいアーチでした。

続くヤクルト戦では6打席に立ちましたが新記録は生まれませんでした。

ちなみに大リーグの連続試合本塁打記録は1956年にパイレーツのデール・ロングがマークした8試合です。         

          参考文献 プロ野球70年不滅の金字塔大全集 ベースボールマガジン社

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