プロ野球史上最速の投手

誰が一番速かったか

プロ野球創世記は 沢村栄治、スタルヒンが双璧か?

戦前は沢村栄治 戦後はスタルヒン

千葉茂氏(元巨人)の証言によると、スパーンが沢村でズドーンがスタルヒンだったそうです。

ON時代は 尾崎行雄、森安敏明の名前があがります。

尾崎行雄はそのストレートはサイドハンドに近いスリークォーターから、うなりをあげて飛んでくると言われ、終速が速かった、と本人が語っています。

東映で尾崎とバッテリーを組んでいた、種成雅之は「僕の野球人生に中で、捕球した時に、ボールの勢いでミットが止まらなかったのは、尾崎だけ」という証言しています。

プロ一年目の18歳になる少年が、ストレートだけで20勝しました。

森安敏明はサイドスローから繰り出す真っ直ぐの球速はどのくらいだったのか。想像の域を出ないが、対戦した打者の証言を総合すると、初速と終速の差があまりなかったという。対戦した打者たちは「一番速いかどうかは分からないが、一番怖かったのは確か」と口をそろえる。

アンダースローの剛速球は杉浦忠

秋山登、山田久志も速かったが、晩年はシンカーを多用した。やはり杉浦が一番。

「ゆっくりと踏み出された足が、静かに宙を伸びてなかなか地に着かず、地を這った右腕が目一杯前方へ振り出される感じで、インハイに来る」。浮き上がる様な速球は、遅いた球とのコンビネーションは効果抜群。

1970年代は好投手を輩出

この時代は好投手が各球団にたくさんいた。その中で速球王は、平松、松岡、堀内です。平松は、シュートも速かった。ヤクルトの松岡は平松以上の速球を投げていたと言います。堀内は、新人の開幕連勝記録を更新中の時に、朝日新聞編集部がホームプレート上に光電式の速度計測装置を使用して測定した結果155km/hを記録しました。その中でも、阪神の江夏は別格。相手を観察する洞察力、コントロールの良い速球で三振を多く取りました。

1980年代は江川卓、津田恒美か?

怪物江川は、実は高校時代が一番速かった、と言われています。ピンチになると、ギアを入れ替え三振を取りに行くピッチングは見事でした。投げるボールが手元でホップする為、打者がボールの下を振っていました。

「弱気は最大の敵」と帽子のひさしに書き、魂のこもった気迫あるストレートが印象に残ります。原辰徳の手首を骨折させ、バースと幾度の名勝負を繰りひろげました。

平成の速球王は誰か?

平成の怪物、松阪大輔は初年度、初登板の日本ハム戦、対片岡篤史との初対決でのフルスイングが印象に残ります。

そして、もう一人、伊良部秀輝、そう、イラブクラゲです。清原との158キロの名勝負は語り草になっています。お互い、ストレートを待ち望んで、それをまた、打ち返した対決は見事でした。

藤川球児のホップする切れのあるストレートは、打者が分かっていても打てない炎のストレートでした。

特にオールスター戦での握りを見せてのストレートは、速い球を投げる者と思い切り振り切る両者の対決は見ごたえがありました。(結果は空振り三振)

令和の速球王は誰か?

平良海馬か?常時150キロ後半のストレートを投げ、最速は160キロを計測。切れのある剛速球は見てて気持ちいい。

リリーフで27人連続でアウトに取り、話題に上ったリリーバー。

結局、2020年はリーグ最多タイの54試合に登板し、無敗を記録しました。

そして、令和の怪物 千葉ロッテの佐々木朗希。高校時代に163キロの剛球を披露してプロ入りして2年目の2021年は3勝2敗。しかし、期待された球速は159キロに留まりました。しかし、63回1/3イニングを投げて68奪三振を奪いポテンシャルの高さをみせてくれました。

ジャイアンツのビエイラがついに最速記録を更新しました。

ドラゴンズ戦、アリエルマルチネスに対して、7球目の外角低めのストレートをマルチネスがファウル。このボールが166キロを記録しました。以前は広島のミコライオの165キロを抜いて1キロ更新しました。

ちなみにメジャーでは、ヤンキースのアロルデスチャップマンが105.1マイルを計測(169.1キロ)となっています。

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